人生の最後までレールが続いてないことが確定している
それもこれも、私たちの世代よりも下は、敷かれたレールの上を頑張って走っても人生の最後までレールが続いてないことが確定している世代だ、という理解の裏返しでもあります。助かりませんからね、私たちの世代は。そりゃいま60代以上の親世代は確かに安定した公務員のほうがリスクないよって思うかもしれないけど、どこかしらリスクを負って自分の足で立っていかなければ死んじゃう世代でもあります。自治体が破綻するかもしれない時代に公務員になることは、自分の力ではどうにもならない問題を突きつけられて呆然とする可能性もありますし、正社員の職を求めても非正規雇用に甘んじることもある。そして、いざ正社員になったぞ正規雇用だぞと言っても、その会社だって何年居られるか分からないじゃないですか。
そうなれば、自分はキャリアとスキルと人脈を持ってどこにでも行けるように準備しておかなければ人生戦略として成り立たないぞ、ということは薄々は感じつつも、いまの年齢、いまの経歴、いまのスキル、いまの風貌・美貌で勝負していかなければならないのが現実なわけです。安心できる状況など、どこにもない。この漠然とした不安は、神なき世界、指針なき社会がもたらす災禍であって、つまりは成功するためのロールモデルがないからじゃないかとすら思うわけです。
老害一直線のロールモデルのまま歩まされているのだとしたら
ご自身の上司や経営者を見て、自分の将来と重ね合わせ、こういう人を目指していきたいという尊敬できる要素がどのくらいあるでしょうか。あるいは、部下や若者を観て「私のように生きて行けば後悔なく才能を発揮して暮らしていける」と言い切れますか。私には、立派なエリートが高い倫理と知性と才能をもって成功し、社会を導いているというよりは、かつての腐敗した帝国陸軍が前線で戦う部下の苦労を顧みず夜な夜な女性を呼んで破廉恥を繰り返してきた歴史を繰り返すのではないかという恐怖を覚えます。
みな、結構簡単に「老害」と切り捨てているけど、もしもそういう老害一直線のロールモデルのまま歩まされているのだとしたら、どうでしょうか。やはり、自分はどういう人間であり、どういう将来像を描きたいのかというビジョンを携えられるような倫理や哲学の世界が、いまの日本には必要なんじゃないのか、と。