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下関で目の当たりにしたベイスターズ熱

「発売当初からチケットの売れ行きもよくて、当初はインターネットでの販売だけだったのですが、ご高齢の方から『ホエールズのチケットの買い方がわからないからなんとかしてくれ』という多数の問い合わせが市の方に寄せられました。はい。皆さん、いまだに“ホエールズ”っていわれるんですよね(笑)」(下関市観光スポーツ文化部 大賀課長)

 下関での試合が決まると「ホエールズが帰ってくる」と、一部の市民は沸き立った。この12年の間にも誘致はしていたそうだが、施設などの諸問題もあって実現には至らず。それが2年前の市長選の公約に「下関でベイスターズの公式戦を」と掲げ当選した前田晋太郎市長が粘り強く誘致した甲斐もあってか、70年前、大洋ホエールズが球団創設後はじめて公式戦を行った3月10日というジャストメモリアルな日に試合を行うこととなった。

 下関開催の前日には前夜祭が行われ、議会や商工会議所、林兼関係者ほか、一般からの参加も併せて200名の定員があっという間に埋まった。会場に掲げられた横浜ベイスターズ時代の球団旗が下関の時間が止まったままであることを伺わせる。各テーブルには林兼からくじらの盛り合わせの差し入れがどーんと振る舞われ、さらには最後の下関開催監督大矢明彦氏がトークショーに登壇された。大矢さん。失われた12年を取り戻すかのような「今年のベイスターズは優勝します!」という力強い宣言に目頭が熱くなり、心臓の鼓動がMOVE ONになる。

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前夜祭でトークショーを行う大矢明彦氏と大野豊氏

「めちゃくちゃ嬉しいです! 僕らはね、ベイスターズが来るのをずっと待っていたんですよ。下関がホエールズファンばかりだったのは遥か昔のこと。西からはホークス、東からはカープの勢力が強くて、ホエールズファンは30代の僕らの世代でも少ないですから」

 というのは、何故か会場にいた、下関出身、小学生時代から大洋ファンの西口プロレス所属ラブセクシーヤングさん。

98年の下関パレードの写真を後生大事に持っているラブセクシーヤングさん

「ホエールズ発祥の地と言ってもね、小学生がマルハの工場見学で高木豊の下敷きを貰うだけじゃファンにはならないんですよ。結局、大洋を身近に感じる機会がないと継続的にファンは続けられない。今の下関の若い子はDeNAが下関から生まれた球団だということも知らないんです。それがね、今回の下関開催で、生のベイスターズを見られる。これが一番の薬じゃないでしょうか。いやー楽しみです。ここから新たな歴史がはじまりますよ!」

 だが、翌日は大雨。反論する気もないほど、あっけなく中止が決まった。

 それでも朝早くから雨の中、多くのベイスターズファンたちが球場に詰めかけてきた。横浜から遠征してきたファンも少なくなく、ある男性は「聖地に一度来てみたかった」と言い、ある女性は「“大洋の試合”を観に来ました」と手作りのマルハ旗を作ってこの地まで駆けつけていた。

 中止が決まった後、雨除けの仮設テントの下で、下関市の有志の方たちが無料で振る舞ってくれた「くじら鍋」をベイスターズファン同士で食べた。「残念だなぁ」って話をしながら、下関の人も、横浜から来た人も一緒になって今日のベイスターズの試合がなくなったことを心の底から惜しんだ。その空間が物凄く居心地が良くて、当たり前だけど、遠く離れた下関の地にも同じようにベイスターズを想っている人がいることを実感として気が付かされた。試合こそ中止になったけど、有意義な時間を過ごせたと思っている。

雨の中、多くのファンが詰めかけたオーヴィジョンスタジアム下関 提供/ベイスターズおじさん

“忘れられていた人々の思い“に触れた気がした

「横浜ベイスターズ下関ファン集いの会」の久光勝也会長はいう。

「今回、中止になったことは本当に残念ですが、決して無駄だったとは思いません。試合が決まり、球団と下関が連携できたことによって、新しい時代がはじまる筈です。ベイスターズには聖地横浜・そしてふるさと下関というものがある。そういう言葉を子供たちに伝えていくこと、誇りに思える地域の縁を次世代につないでいくことが、僕たちの務めだと思っています」

 この下関だけではない。地方開催はDeNAが親会社になって以降、特に2016年に球団が横浜スタジアムを購入してからは明らかにその回数が減っていた。いやいや、母屋がボロボロだったのだ。まずは横浜に軸足を据えて、本拠地の立て直しを重点的に図っていた期間。そりゃしょうがないよ。しょうがない、のではあるが。今回の下関への帰還とその歓迎ぶりをみて、言い方は悪いがその間に“忘れられていた人々の思い“に触れた気がした。

 かつて、僕らも同じような思いをしていたのだ。横浜がダメだと言われ、もの好きの集まりと言われ、野球界の棄民扱いされていた、そんな時代があったからこそ、「アイラブ横浜」という言葉にどれだけ救われたかしらない。

 だが、地域密着を進めれば進める程、「アイラブ横浜」と限定するほど、横浜以外の地域のファンは何を思っていたのだろうか、なんてことを考える。これまた別の話で書きたいのだが、大阪でベイスターズファンをやっている僕の友人たちは「昔から援軍の見込みのない最前線で孤立したまま踏ん張っている状態」「今さら気を遣われても恥ずかしくてどうしていいかわからんわ」なんて言う一方で、長距離バスで通い詰めてゴールドプラス会員になったり、「ベイスターズが試合しに来てくれるだけで感謝ですわ」と頬を染めるツンデレ美女だらけだ。全員おっさんだけど。

 今回の70周年記念事業の発表記者会見で岡村球団社長は「下関、川崎の時から支えていただいているファンや地域との縁を大切にして、次のステージに向う70周年にしたい」と述べた。まだまだ横浜だって、今こそお客さんが入っていても、盤石の地位を築いたかといえばそうではない。今年は横須賀の二軍施設も完成し、より地域との強固な関係性を築いていかなければならないだろう。だけど、一歩ずつでも、地方に、ビジターにも目を向けることができたなら。下関から大阪、京都に川崎。あとは静岡とか平塚とか相模原とか、そういう土地もこの球団には由縁がある。

 来年はハマスタがオリンピックの会場にもなる。ということは、その間の主催ゲームをどこでやるかも大きな問題だ。

 アイラブ横浜。そして、Weラブベイスターズ。おじさんも今回の下関での熱を目の当たりにして、70年以降のベイスターズに新しい時代がくるような、そんな気がしている。

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