弱い時代が人気の理由は
秋山さんが憧れたアスレチックスは、湘南ユニフォームが採用された当時、メジャーリーグで最強のチームだった。72年から74年にかけてワールドシリーズを3連覇。オーナーは奇抜なアイディアを次々と打ち出すチャールズ・O・フィンリーで、連覇を開始した72年に彼のアイディアで上下色違いの初のセパレート型ユニフォームを採用していた。上着がイエローとグリーンの2種類のユニフォームは、それまでの白やグレー、あるいはブルー一色を見慣れていた目には斬新だった。
フィンリーは他にも球界を大きく変える試みを数多く提案した。たとえば選手に髭を奨励してチームはマスターシュ・ギャングと呼ばれた。今では髭の選手は当たり前だが、それ以前は髭のメジャーリーガーなど、ほとんどいなかったのだ。そしてさらに、指名打者制の発明も彼だ。アメリカン・リーグや、日本ではパ・リーグが採用、打撃優先でゲームは間違いなく面白くなった。その他、採用されなかったが、ボールをオレンジ色にしようと提言したり、アイディアは尽きなかった。しかしやがてフリーエージェント時代を迎え、選手が次々に移籍。70年代後半にはフィンリーのチームは崩壊する。
川崎時代の最後を飾った湘南カラーのユニフォームも、髭と長髪のJ・シピンが印象的だったが、成績は振るわなかった。その4年間の順位は5位、5位、6位、6位。
しかし不思議なものだ。70周年記念グッズの売り上げを見ると、ファンはこの時代を支持しているように見える。復刻した帽子やオレンジ&グリーンのグッズはどの時代よりも早く完売する。
これまでいろいろな球団の復刻ユニフォーム・イベントの手伝いをしてきたが、共通して言えるのは、どん底の弱い時代のユニフォームに、意外と人気があることだ。たとえば埼玉西武ライオンズでは太平洋クラブやクラウンライター時代の復刻ユニフォームを要望するファンの声を数多く聞いた。福岡ソフトバンクホークスは、南海時代晩年のグリーンのユニフォームに人気があったし、阪神タイガースは球団史上初の最下位となった輝流ラインのユニフォームが人気で、たびたび復刻ユニフォームとして採用されている。
弱い時代が人気の理由は何なのか。
ファンがもの心ついた子供時代などに見ていたからという理由もあるとは思うが、いちばん大きいのはリベンジの気持ちじゃないかと思ったりする。あの弱い時代の悔しさは、やはりいつまでたっても忘れられないものだ。
しかし今シーズン。まだ始まったばかりだが心配だ。悔しさで忘れられないシーズンにならないことを祈りたい……。
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