「修理工場ですわ」
関西弁。柔和な笑顔。中日ドラゴンズの立石充男巡回野手コーチは常に明るい。
1957年生まれ。大阪府出身。1975年のドラフト会議で初芝高校から南海ホークスの3位指名を受けて入団。内野手として活躍した。引退後は南海、中日、近鉄、阪神、楽天のほか、韓国や台湾でもコーチを務めるなど、指導歴は30年を越える。
阿部、福田、大島……伸び悩む選手たちへのアドバイス
巡回野手コーチとは1軍と2軍を行ったり来たりしながら、野手に的確な助言をする役職だ。就任直後の去年の秋キャンプ、立石コーチは伸び悩むある選手に声をかけた。
「長所は長打力や。当てにいかんでええ」
事実、右打ちなど細かい技術に走っていた。
「立石さんには『今の打ち方は自分の力の3割しか出ていない』と言われました」
今年、プロ4年目で初の開幕スタメンを掴んだ阿部寿樹が振り返る。
「指摘はとにかくシンプルです。秋に受けたアドバイスは『開くな』と『残せ』の2つだけ。僕は体が開くので、球に力が伝わらなかったんです。もっと軸足に体重を残したまま、左の壁を意識して思い切り振れと」
そこから試行錯誤が続いた。
「自分なりにアレンジしました。僕は右足に体重を残そうとすればするほど、かえって開いてしまう。だから、一旦はピッチャーの投げたボールに入って(向かって)行って、最後に『背筋で振る』という感覚。これだと、開かずにしっかり後ろに残って振れる。打球も飛ぶようになりました」
選手の特徴や症状は千差万別。したがって、修復方法も多岐に渡る。福田永将は阿部と全く逆の指示を受けていた。
「僕は『前で打て』です。後ろに残しすぎて、差し込まれていたからです。打撃練習では150キロのボールを想定してタイミングを取れと。当然、バッティングピッチャーの投げる球は遅いですから、ずいぶん体の前で打つことになります。その球に泳ぐくらいで良いと」
アドバイスの翌日、福田は東京ドームの巨人戦で逆転3ランを放った。
「インローのスライダーを体の前でさばけました。今までだったら、おそらく空振りか自打球だったと思います」
4月11日。甲子園3連戦を控え、ナゴヤ球場で全体練習があった。その中に開幕から本来の力を発揮できず、悶々としながら、汗を流す選手がいた。
「ずっと違和感があったんです。ただ、それが何か分からないままでした」
立石コーチが大島洋平のもとへ歩み寄った。
「頭と体幹がずれている」
ハッとした竜の安打製造機はすぐに自らの引き出しを片っ端から開け始めた。原因さえ明確になれば、プロで10年のキャリアがある大島にはそれを克服する方法が複数ある。
「トップの位置にすんなり入れないから、スイングするときに軸がブレているということでした。結局、変えたのは構えです」
まず、ピッチャー方向に向いていたバットのヘッドをやや3塁側へ傾けた。そして、左肩の前にあったグリップの位置を胸の前に変更。このゆったりとした力感のない構えにしたことで、スムーズにトップに入れ、ボールを見る時間を長くとれるようになったのだ。
「ピッチャーとの間が合ってきました」
開幕からアドバイス前までの11試合は41打数10安打。2割4分4厘。構えを変えた阪神戦からは見事にヒットを量産した。