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「僕はあの子達を裏切れない」――中日・藤嶋健人が下を向かない“理由”

文春野球コラム ペナントレース2019

2019/04/04

 開幕して1週間が経つ。しかし、藤嶋健人はボールすら握っていない。

 プロ2年目の去年、鮮やかにブレイクした。4月に初登板を果たすと、6月には松坂大輔の先発回避の窮地を救い、初勝利。シーズン後半にはローテーションに入り、3勝を挙げた。

 オフにはイベントやメディアに数多く出演。「来季の目標は完投。信頼されるピッチャーになりたい」と公言していた。ファンも本人も大きな期待を寄せて、2019年が始まった。

「妙に右手がスースーするな」

 それは成人式だった。

「故郷の豊橋市内の体育館で同級生と一緒に参加しました。新調したスーツを着て、じっと座って、祝辞を聞いていました。すると、妙に右手がスースーするなと」

 違和感は冷感に変わった。

「氷水に手を突っ込んでいる感じです。とにかく冷たい。だんだん痺れも出てきました。見ると、真っ白。その後、親指、人差し指、中指、薬指、小指の順番で感覚がなくなったんです。これはやばいと思い、ポケットに手を突っ込みました」

 しかし、全く治まらない。

「舞台上で成人代表の挨拶をしたんですが、紙を持つ右手だけが痛くて痛くて」

 携帯電話で「血行障害 症状」と検索した。願いむなしく、ほぼ全て該当した。

「認めざるを得なかったです」

 しかし、藤嶋は決断した。隠そうと。

「今年が大チャンス。暖かい沖縄キャンプが始まれば、きっと改善する。あの時点で現状を報告する勇気はありませんでした」

 1月15日からナゴヤ球場で合同自主トレが始まった。年が明けて初めて顔を合わせる選手もたくさんいる。

「握手するのが怖かったです。血行障害がばれるんじゃないかと。『おい、冷たいぞ。大丈夫か?』と言ってくれる先輩もいましたが、『寒いですからね』と笑顔でごまかしていました」

 結局、良化しなかった。

「キャッチボールはヘロヘロで、ノックの時は右手に手袋をはめていました。ブルペンなんて全く入れない。冷たいし、痛いまま。さすがに沖縄へ出発する前日に離脱を決めました」

右手の血行障害でリハビリ中の藤嶋健人

ボールさえ握れない今、できること

 2月上旬、手術を受けた。

「僕は右手首に血栓があるため、血が通いにくくなっていました。血栓ができる理由は特定が難しく、投球動作の積み重ねで血管が傷付いて、小さなかさぶたができ、徐々に1箇所に集まるみたいです。僕の場合はそれが手首でした。右肘の内側からカテーテルを通して、血管を広げる手術を受け、10日間の入院。リハビリも限られているので、とにかく時間がありました」

 有り余る時間をどう使ったのか。

「妄想です」

 驚いた。

「僕、子供の頃から妄想が得意で」

 白い歯を浮かべる藤嶋に悲壮感はない。

「この前もオープン戦で(鈴木)博志さんが投げていたんですが、テレビを見ながら、自分と重ね合わせていました。2点リードの9回表に登板。楽天に1点を取られましたが、球は走っている。大丈夫」

 体は動かせないが、頭は動かせる。彼の中であの日に投げていたのは守護神を目指す、長身の、150キロを連発する、「藤嶋」だったのだ。

「野球漫画の主人公って必ずピンチで抑えますよね。ギアチェンジして、表情も変わって、ボールも変わる。あれを実際のマウンドで妄想できるんです。いい性格です」

 繰り返すが、藤嶋に悲壮感はない。

 東邦高校時代、彼は幾度となく甲子園で雄叫びを上げた。厳しい場面で右腕は「藤嶋」ではなく、「漫画の主人公」になっていたのだ。

「もちろん、妄想したところで抑えられるとは限りません。ただ、前向きになることは大切だと思っています」

 ボールさえ握れない今、できることは何なのか。

「ジョギングと階段を上り下りすることです」

 少ない。少なすぎる。プロ野球選手とは思えない運動量だ。ただ、頭はフル回転している。復帰登板の妄想も膨らんでいた。

「場所はナゴヤ球場。1イニング限定。3回か4回にブルペンに向かう。投球練習を始める。『藤嶋が投げるぞ!』と観客席がざわつく。7回か8回に名前がアナウンスされる。『頑張れ!』と声援が聞こえる。水を口に含む。マウンドに向かう。そこまでです」