今年の5月1日から変わったものがある。元号の話ではない。野間峻祥の打順の話だ。
今シーズンの開幕3戦目から、野間は「3番・センター」でスタメン出場していた。それはまさに巨人にFA移籍した丸佳浩のポジションそのものであり、多くの人が「丸の代わり」と捉えたのではないだろうか。
入団してからずっと「誰かの代わり」だった
思えばカープに入団してから、野間は事あるごとに「誰かの代わり」を務めていた。そもそも入団の経緯からして有原航平(現・日本ハム)の外れ1位だった。とは言え、岐阜学生野球リーグで通算打率.416という数字を残し、緒方監督が一目ぼれした「走攻守揃った大型外野手」ということで、入団時の野間への期待は高かったように思う。
緒方政権1年目の2015年、恐らく首脳陣の頭には「1番・野間」という構想があった筈だ。というのも当時のカープは1番打者が固定されていなかったからである。前年に1番を多く務めた堂林翔太か、或いはシーズン終盤から1番に起用された鈴木誠也か、四球を選べる丸か……。その位置に「打って走れる」野間は適役だと思われた。野間自身も入団の際に「自分としては、一番を打ってチームに勢いをつける役目が好きですね。プロに入っても将来的には一番という打順を狙っていきたいですね」(『広島アスリートマガジン』2014年12月号)と語っている。
望み通り、この年の開幕3戦目から「1番・ライト」でスタメンに名を連ねた野間。しかしチームの連敗もあり、1番の座からは一週間ほどで降りることとなった。この時の野間は「足を生かした長打は打てるが、四球が選べず出塁率が低い」という印象で、この出塁率の低さが1番打者として致命的と考えられたのではないだろうか。そして次第に打率も下がり始め、野間の出場は守備固めや代走が主となっていった。
翌16年、カープは開幕戦から「1番・田中広輔、2番・菊池涼介、3番・丸佳浩」いわゆる「タナ・キク・マル」のオーダーを組み、これを一年通して固定したことにより優勝を掴み取った。その一方で野間は21試合の出場に留まり、「1番・野間」論を聞くことも少なくなった。
転がせば何かが起こる ゴロ打ちで打撃向上
17年の野間は「赤松の代わり」だった。代走要員として前年の優勝に貢献し、オフに発覚した胃がんの治療に専念する赤松真人の代役として野間が起用されたのである。50回の代走出場のうち27回が松山竜平の代走だったこともあり、松山が出塁した際に「野間はどこだ……」という目でベンチを見ている、と話題にもなった。その意味では「松山の代わり」だったとも言える。しかしこの年、代走出場の野間はその俊足ぶりを大いに発揮した。印象的だったのが8月3日の阪神戦。3−5の2点ビハインドで迎えた9回裏に、西川龍馬のセンター前ヒットで三塁走者のみならず、一塁走者の野間まで一気にホームインしたのである。試合は引き分けに終わったが、驚異的なスピードの野間のベースランニングは多くのファンの心に刻まれた。
ところが18年になると、これまで課題と見られていた打撃が大幅に向上したのである。4月末に負傷離脱した丸の代わりとして出場機会が増えた野間は、5月にはリーグトップとなる.380の月間打率を挙げ、新井貴浩からは「野間選手の高打率を見るたびに下痢が止まりません」といじられ、復帰した丸からは「野間選手からレギュラーを奪い取れるように頑張っていきたい」と宣戦布告されるまでになった。
この打撃向上の理由として、三振の割合が減り、ゴロを打つことを心掛けるようになったことが挙げられるだろう。15年には19.7%だった三振率が18年には15.4%になり、安打数における内野安打率も23.3%と高くなっている。野間の最大の武器は足であり、「転がせば何かが起こる」のである。その徹底したゴロ打ち姿勢は、今シーズン(5月22日まで)の野間の犠打・犠飛を除く118アウトのうち、実に半数以上の62アウトがゴロアウトなことからもわかる。