その存在感は、昭和においても平成においても、絶大だった。カープの背番号「40」といえば、達川光男氏(元・監督)である。昭和のカープ黄金時代に、ゴールデングラブを3度、平成に入り35歳を過ぎても盗塁阻止率は4割を超えていた。さらに、ユーモア溢れるコメント力も光った。「(背番号の)「40」というのは、『しまる』とも読めるんよ。『たつかわ』、反対から読めば、『わかった』よ」。
野球頭脳や実績はもちろん、強烈な印象度があった。それだけに、後任の40番が、イメージを定着させるのは容易いことではない。
サヨナラをお膳立てしたワンプレー
磯村嘉孝、中京大中京高では甲子園も制した本格派捕手である。2010年(平成22年)に入団、2017年(平成29年)からは、栄光の背番号「40」を継承している。磨きのかかった打力と明るいキャラクターで、一軍に欠かせない存在には成長した。しかし、主戦捕手である會澤翼や石原慶幸の壁は、高い。
シーズン序盤、責任重大な打席がまわってきた。4月19日ベイスターズ戦、1対1の同点で迎えた延長10回裏、無死1・2塁、磯村は代打で登場となった。
「代打でいくなら、この回の3人目のところでした。無死1・2塁でバント、2死無走者なら、ヒッティング……ベンチ裏で頭の整理はできていました」。
捕手らしい準備は続いた。「マウンドのパットン投手は、去年しか対戦していなかったので、球の軌道をベンチで他の選手に聞きました。バントはこちらからやりにいってしまうとダメ。来た球をバットに当てるイメージです。変なプレッシャーはありませんでしたが、絶対やってやろうと思いました」。
しかし、打席では想定通りに進まない。コースを狙った丁寧なバントが裏目に出て、2球続けてファール、磯村は追い込まれてしまった。それでも、捕手らしい思考が彼を助けた。「2塁ランナーは足の速い上本崇司さん。開き直って、ピッチャーの前に転がせばいい」。このイメージが磯村の重圧を和らげた。
ピッチャー前に転がすと、ランナーはそれぞれ進塁、1死2・3塁のサヨナラのチャンスをお膳立て、磯村はベンチにハイタッチで迎えられた。
余談だが、高校時代はクリーンアップを打ってきたが、さすが名門・中京大中京だ。このチームは、毎日30分程度をバント練習に割いていたのである。4番の堂林翔太や磯村も例外ではなかった。「あれは今も生きていると思います」。伝統校らしい抜け目のない取り組みが、プロで生きていくための土台になっていたのである。
試合は、この10回のチャンスに會澤がサヨナラヒットを放ち、カープが勝利した。殊勲打に手荒い祝福を受ける會澤も、やはり捕手だった。自らの歓喜も束の間、バントを決めた磯村に近寄り「ナイスバント」と声をかけた。