かつてカープファンは言った。「君が涙を流すなら 君の涙になってやる」と。

 私はその言葉をぼんやりと思い出していた。4月10日のマツダスタジアム、ヤクルト戦の延長10回表のことだ。ヤクルト・荒木貴裕の打球を処理した松山竜平の二塁送球は逸れ、山田哲人の打球も菊池涼介のグラブに当たって落ちる。終わってみれば1イニング3失策12失点という悪夢のような結果となり、菊池涼の目にも涙、7失点でベンチに戻りうなだれる中田廉の目にも涙。最下位だとか4カード連続負け越しだとか、そんなことはどうでもよかった。ただ選手が辛そうなのが辛かった。涙になれるものならなりたかった。

 そして翌日。中国新聞カープ番記者のツイッターには「エラー撲滅へ、清めの塩!」という言葉とともに、山田和利内野守備・走塁コーチが各塁とマウンドに塩を撒いている画像が掲載された。カープ公式インスタグラムも同日、ベンチ両端に円錐状に積み上げられた盛り塩の画像を投稿した。ここでふと思った。なぜみんな塩頼みなのだろうか。

ADVERTISEMENT

野球界における「塩の万能視」

 勝負の世界に生きる野球選手たちは、これまで多種多様なゲン担ぎを行ってきた。改名する、試合の前には同じものを食べる、勝っている間は同じパンツを穿き続ける……等々。その中の1つに「塩」がある。

 塩にはその場を清める性質があると考えられ、古くから日本各地で塩や海水を撒く習俗が行われてきた。一方盛り塩は、秦の始皇帝の寵愛を受けようとした女性が、皇帝の乗る牛車の足を止めさせようと牛の好む塩を門口に盛ったという俗説があり、主に花柳界や料亭などに広まっていた。本来異なる意味を持つ撒き塩と盛り塩が、いつの間にか「塩そのものの持つパワー」に収斂され、同じく「悪いものをはらう」効果があるものと捉えられるようになった。こうした塩の万能視には、盛り塩の効果をメディアで長年主張してきたDr.コパの影響も大きいと推測される。

 野球界においてもこの「塩の万能視」が浸透しているように思う。たとえば日本ハムの栗山英樹監督は、毎年のようにキャンプインの際にグラウンドに塩を撒く。「選手がケガをしないように」という思いを込めてのようだが、日本ハムのキャンプ地はアメリカ・アリゾナ州。現地の施設関係者にはゲン担ぎが理解されず「ソルト? 芝生にはまかないでくれ」と注意されている(※注1)。

 一方、自らの体に塩を塗り込む選手もいる。ヤクルト・青木宣親は与論島の「命泉塩」という塩を取り寄せ、大一番の時に心身を清める目的で体に塗り込むという。ロイヤルズ在籍時の2014年には、ア・リーグ優勝決定シリーズを前に「勝負どころで体に塗り込むんです。(試合前に)シャワーを浴びて体を洗った後に、がっつがっつ、とね」(※注2)と語っていた。そんなにがっつがっつ塩を塗り込んだりしては浸透圧で体がどうにかなってしまうのではないかと心配になるが、体重80kgの青木がたとえ一度に命泉塩一袋(300g)を塗り込んだとしても、割合は体重の0.375%。一般的な白菜の漬物(白菜の重さの3%の塩を使用)の8分の1程度の使用量なのでまず大丈夫ではないだろうか。

 カープで特に塩信仰が強かったのは前田健太(現ドジャース)だ。カープ在籍時、登板の際にベンチの盛り塩を右腕につけるというルーティンを行っていたマエケン。2018年正月、テレビ番組の企画「リアル野球BAN」に出演した際も、塩を振ったバットを用いてホームランを放ち、マエケン本人がインスタグラムで「塩効果。塩ありがとう。お清め効果」とその効能を絶賛していた。

骨折した地点に塩をかけて祈る鈴木誠也 ©オギリマサホ