最後に1軍で投げたのは2017年6月1日。その年の7月に右肘の内側側副靱帯再建手術を受けました。長いリハビリを経て768日ぶりの登板となった7月9日、ZOZOマリンスタジアムのマウンドに立った中村勝は3回途中59球6失点でKO。結果は残念なものとなりましたが、なぜか観ていて落胆とか失望とかいったようなものはほとんど感じなかったのです。自分の観ているナイター中継のテレビ画面の中に彼がいる。当たり前のように彼が投げている。そのことだけでもうすっかり嬉しくなってしまっておりました。
「本当に苦労をしてきた人間の、必死な思いが伝わってきた。負けた監督がこんなことを言ってはいけないけど、戻って来られたことに意味がある」
これは翌日の道新スポーツに載っていた栗山監督のコメントです。木田投手コーチも、
「リハビリを1軍に来られるまで頑張った。もう少しなのかな」
と至って冷静。首脳陣のこの言葉を見ても、打たれたかー駄目だったかー困ったなーというニュアンスではないんですよね。やっと再出発できるところまで来たな、ひとまずおめでとう、ぐらいの感じに受け取れます。またイースタンで頑張れば、1軍登板の機会は再び巡ってくるんじゃないでしょうか。「埼玉のダルビッシュ」まさるってぃ、まだ27歳。野球人生はまたここからです。
勝3人問題とニックネーム
あ、埼玉のダルビッシュというのは中村勝の二つ名というかキャッチフレーズというか、高校時代にそう呼ばれていたのですよ。何しろもう10年くらいも前のことになる上に、この2年間は彼の名前がスポーツニュースに出ることもなく、この謳い文句を忘れていた、あるいは知らないという方もいらっしゃるかもしれません。
大谷翔平が「みちのくのダルビッシュ」だったように、何とかのダルビッシュと呼ばれる投手は概して「球の速い長身右腕」です。「本家」と同タイプということですね。ただし中村勝は、身長は185cmあるので長身の部類だと思われますが、速球派ではありません。ではなぜ「埼玉のダルビッシュ」なのかというと、これはもうひとえに「顔が似ている」ということに尽きます。ただしここで要注意。どれどれ比べてみようと思ったそこの皆様、今現在のダルビッシュ有の容姿と比較してはいけません。鍛えに鍛えまくって筋骨隆々にもほどがある体格となった三十路のダルさん、体ばかりか顔の輪郭までもが若い頃とはかなり変わってきておりまして、今は正直それほどの相似性は認められないのが実情なのですね。
なので「本家」の方は取り敢えず無視して、中村勝の投げているところの写真や映像だけを見てみて下さいませ。ねっ、若い頃のダルビッシュ有にそっくりでしょう。顔も似ていれば投球フォームも似ています。たとえ球が遅かろうと、これは「埼玉のダルビッシュ」と呼ばざるを得ますまい。
では「まさるってぃ」の方は何かというと、こちらは2軍の本拠地鎌ヶ谷のマスコット、カビーが言い出しっぺの彼の愛称です。カビーのツイッターで「まさるってぃ」と呼ばれ始めたことから、ファンもこの呼称を使うようになりました。略して「るってぃ」とか「てぃー様」とかになる場合もあり、こうなるともはや名前の原形をとどめていません。「てぃー様」の本名が「まさる」だと、一体どこの誰が思うというのでしょうか。
こんなニックネームをつけなくても普通に素直に名前を呼べばいいではないかと思われるかもしれませんが、そうもいかない事情がありました。中村勝が入団してきた時、ファイターズには武田勝という先輩がいたのです。そして翌年には何と齊藤勝という投手が入ってきました。勝が3人の投手陣です。当時の吉井理人投手コーチは3人とも同じく「勝」と呼ぶことにするとブログに書いていましたが、ややこしいったらありゃしません。それなら名字で呼べばいいかというと、これがまたそう簡単な話でもなかったんです。武田久と武田勝と中村勝と齊藤勝と斎藤佑樹がいたんです。
結局、武田勝は「勝さん」、中村勝は「まさるってぃ」、齊藤勝は「まーしゃる」と呼び分けられることとなり、勝3人問題は解決を見ました。現在、武田勝も齊藤勝も現役引退して、勝という名前の選手は他にいないため、ごく普通に「勝くん」と呼ぶファンのツイートも最近では見かけるようになりましたが、「まさるってぃ」「るってぃ」は既にしっかり定着しきったようで、引き続き使用されております。