往時の記憶を次々とよみがえらせるドリマトーン
森下さんへのインタビューは神宮球場近くのカワイ音楽教室で行われた。僕の目の前にはドリマトーンがある。さらに、森下さんは当時の譜面の数々を持参してくれている。当然、生演奏を聴きたくなるのが人情というもの。僕は調子に乗って、往年の名曲の数々をリクエストする。教室内の防音ブースは、急遽「森下弥生リサイタル」会場に早変わり。まずは思い出の『ライディーン』を弾いてもらった。音楽の力は偉大だ。森下さんが鍵盤を弾くと同時に、49歳の中年男性が一瞬にして10歳の少年に戻ってしまった。
若松勉、大杉勝男、大矢明彦、杉浦享、松岡弘、安田猛、梶間健一、鈴木康二朗、井原慎一郎、パラーゾ、スコット、ハーロー、ホーナー、デシンセイ、アイケルバーガー……、みんな思い出深い選手ばかりだ。武上四郎監督、土橋正幸監督はすでに物故者となってしまった。80年代は弱かったけれど、楽しい日々だった。90年代はノムさんのおかげで「勝つ喜び」を教えてもらった。森下さんは次から次へと懐かしい曲を弾いてくれる。聴衆は僕一人。何というぜいたくな時間なのだろう。
森下さんが神宮球場でドリマトーンを弾いていたのは、77年の秋から、20世紀が終わる2000年までだった。この間、強いときもあったし、弱いときもあった。それでも、神宮球場での日々はとても楽しかったという。
「荒木大輔さんなど、長年故障に苦しんできた選手が復帰してきたときの試合はとても感動的でした。あるいは、野村(克也)監督の時代は強いヤクルトを楽しませてくれました。現役時代の若松さんが打席に入れば、“若松さんなら何とかしてくれるだろう”という期待もありました。92年、西武との日本シリーズでは杉浦(享)さんや、秦(真司)さんのサヨナラホームランに我を忘れるほどの興奮を味わいました。ドラマチックな瞬間に立ち会うこともできたし、なかなか勝てなくて悔しい思いも経験しました。そうしたことのすべてが楽しかったです。20年以上も神宮球場の狭いブースから選手たちの姿を見つめることができたのは、私にとってかけがえのない思い出です」
現在の神宮球場にはドリマトーンのブースはない。先日のドリームゲームでは、事前に森下さんが録音した音源を使用したのだという。かつての場内演出の再現は多くのオールドファンを喜ばせたことだろう。50周年を迎えたヤクルトの歴史。間違いなく、森下さんもその歴史の一部だ。ドリマトーンによる演奏が神宮球場に響き渡ったこの一夜のおかげで、僕らはヤクルトファンであることに誇りを持てることとなった。本当に楽しく、幸せな一夜だった。僕はいまだに興奮冷めやらず、あの夜のことを思い返しては、ニヤニヤしている。
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