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成熟したチームは選手自ら、適切な判断ができる

「強さ」を示す象徴的な場面はたくさんあった。たとえば、93年の第4戦――待望の先取点となった、4回裏一死満塁の場面で池山が放った犠牲フライ。当時の映像を見ながら、池山は言った。

「野村監督の教えに、《狙い球10か条》というのがあるんです。その中に“逆方向の犠飛は意外と伸びる”という教えがあるんですけど、この打席では完全にライトへの犠牲フライを意識していました。ほら、この場面を見てくださいよ……」

池山隆寛 ©文藝春秋

 モニターに映る若かりし頃の池山は打席に入る際にバットを短く持っていた。さらに、大きく左足を上げるいつもの打撃フォームではなく、ノーステップでスイングしていたのだ。打席に入る際に首脳陣から指示を受けたのではない。自分の判断でバットを短く持ち、ノーステップでライトへの犠牲フライを狙い、見事に成功したのだ。

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 この場面については、敵将である森祇晶監督もハッキリと記憶していた。

「池山が犠牲フライを打ちましたよね。あの瞬間、すごくイヤな気持ちになりました。前年のヤクルトにはなかった光景だからです。“あぁ、野村監督の教えは、ついにここまで浸透したのか”って」

 プロ中のプロならではの指摘だった。こういう場面は他にもたくさんあった。1対0のリードで迎えたこの試合の8回表、二死一、二塁のピンチの場面で、センターを守る飯田哲也はベンチからのサインを無視して、指示よりも前で守っていた。そして、飯田の狙いは見事に的中し、西武・鈴木健のセンター前ヒットをダッシュして好捕し、ノーバウンド送球で代走・笘篠誠治をアウトにしたのだ。同じく、当時の映像を見ながら飯田は言った。

「あのとき、ベンチの指示は無視しました。ベンチは“同点までなら許せるけど、逆転のランナーは返してはいけない”という判断でした。でも、僕は“この場面は1点もやってはいけない”と考えたからです。あの日はバッターにとって、ものすごい逆風が吹いていました。多少、前に出ても、頭を越されることはないと思っていましたから」

 それは、飯田の独断だった。あるいは、93年第7戦――どうしても追加点がほしい場面では、三塁走者の古田はベンチのサインを無視して、あえてギャンブルスタートを敢行し、見事に追加点を奪うことに成功。日本一を決める決定的なプレーとなった。

飯田哲也 ©文藝春秋

 こうしたプレーに対して、93年シリーズMVPを獲得した川崎憲次郎は言った。

「チームが成熟してくると、ベンチの指示がなくても、選手同士が勝手に正しく動けるようになるんですよ。みんなが自分の役割をわかっていて、誰に言われなくても、きちんとやるべきことをやる。それはやっぱり、強いチームだからですよ」

 ベンチの指示がなくとも、選手自身が的確な判断を下し、さらに、それを遂行するだけの技術を持っていた。川崎に限らず、当時のヤクルトナインはみな、同様のことを口にしていた。改めて、今年のヤクルトを考えてみる。少なくとも僕には、川崎の言った「チームの成熟」は、今年のチームには感じられない。若い選手が多い発展途上の時期にあるから、それも仕方のないことなのかもしれない。成熟するには時間がかかることは理解している。

 当初は、「個人的に思い入れのある日本シリーズを、関係者の証言から徹底的に検証する本を書きたい」というところからスタートした企画ではあったけれど、自分でも意図しないうちに「強いチームの在り方」であり、「一流選手の考え方」を気づかせてくれることとなった。一昨年の「96敗」から、昨年は一気に2位に躍進した。けれども、今年は「16連敗」に象徴されるように最下位暮らしが続いている。

 ハッキリ言おう。今のヤクルトはまだまだ未熟で、まだまだ地力がないのだ。編成上の不備もあるのかもしれない。選手個々の技量の問題もあるのかもしれない。首脳陣の指導や采配に問題があるのかもしれない。いずれにしても、まだ発展途上のチームであることは間違いない。もちろん、だからと言って、僕は悲観ばかりしているわけではない。成熟するには時間がかかるのだ。だから、僕は待つ。90年代のヤクルトのように、成熟した選手たちが、「大人の野球」を披露して、圧倒的に強いチームになる、その日まで。……でも、いつまでも待ち続けるのは辛いので、できれば来週辺りに成熟することを、内心では願っている。

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