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92、93年伝説の日本シリーズ あの頃のヤクルトに見る「成熟したチーム」とは?

文春野球コラム ペナントレース2019

2019/08/22

伝説の92年、93年日本シリーズを振り返る

 昨年から今年にかけて、断続的ではあるものの、書下ろし新刊の取材を続けてきた。テーマは「1992(平成4)年、93年日本シリーズ」についてだ。ご承知の通り、92年、そして翌93年は西武ライオンズとヤクルトスワローズが日本シリーズで激突した2年間である。当時、「絶対王者」として黄金時代を築き上げていた西武に対して、チーム創設29年目となる78(昭和53)年にようやくセ・リーグを制覇し、当時の王者・阪急ブレーブスを破って悲願の日本一になって以来、優勝からはごぶさただったヤクルトとの一騎打ちだった。

 92年日本シリーズ開始前、下馬評では「西武有利」の声が圧倒的だった。一方、息詰まる阪神タイガースとのデッドヒートを制し、14年ぶりに日本シリーズに駒を進めたヤクルトに対しては、「0勝4敗もあり得るのではないか?」と悲観的な見方もあった。ところが、この2年間は名場面の連続で、名勝負が続出した。

 当時、大学3年生、4年生だった僕は徹夜で並んでチケットを購入し、神宮球場へ、西武球場へと駆けつけた。結果から先に言えば、92年は4勝3敗で西武が日本一となり、翌93年は同じく4勝3敗でヤクルトが15年ぶりの日本一に輝いた。この2年間をトータルで考えると、全14試合が行われ、両チームの対戦成績はともに7勝7敗、日本一には一度ずつ輝いている。数字だけ見れば、両者はまったくの互角だった。

 あの2年間は本当に興奮の日々だった。あれから四半世紀以上が経過した現在でも、「あの2年間は最高だった」と、僕は思っている。そして、かなりの時間が経った今だからこそ、「改めてあのシリーズを振り返りたい」という思いが出発点となって、昨年から今年にかけて当時の関係者たちに話を聞き歩く日々を続けてきたのだ。

 僕は自他ともに認めるヤクルトファンではあるけれど、もちろん、西武ナインにも敬意を持って取材を続けた。同じ場面について質問をしても、ヤクルトサイドとはまったく異なる見解が披露され、「今だから話せる」というエピソードも満載で、取材のたびに、僕は興奮を抑え切れずにいた。ちなみに、これまでにインタビューをした主な方々は、以下の通り(敬称略)。

【西武】
森祇晶/伊原春樹/石毛宏典/秋山幸二/辻発彦/平野謙/笘篠誠治/伊東勤/清原和博/デストラーデ/石井丈裕/工藤公康/渡辺久信/潮崎哲也

【ヤクルト】
野村克也/丸山完二/広澤克実/池山隆寛/古田敦也/飯田哲也/杉浦享/八重樫幸雄/土橋勝征/岡林洋一/荒木大輔/川崎憲次郎/宮本賢治/高津臣吾/伊藤智仁

92年、93年日本シリーズについて取材していた際の写真 ©長谷川晶一

かつてのヤクルトは「大人の野球」をしていた

 ここに挙げた方々は、いずれもプロ野球界において一流の成績を残した人ばかりだ。当初は「25年以上も前のことを、はたしてどの程度覚えているのだろうか?」という不安がなかったわけではない。しかし、それはまったくの杞憂に終わった。取材開始時には「もう、忘れちゃったよ」と話していても、取材中盤になると「あぁ、あれはスライダーを狙っていたんです」とか、「その前の打席でストレートを見せていたので、勝負球はあえてストレートにしたんです」など、「人間の記憶力はこんなにすごいのか?」「一流選手はここまでいろいろなことを考えていたのか?」と驚かされることの連続だった。

 これまでに聞いたエピソードの数々は、近々「書下ろし書籍」として発表する予定なのでここでは詳述しないけれど、西武との2年間にわたる激戦、死闘を経験した当時のヤクルトの選手たちの話を聞いていて、僕はさまざまな示唆を受けた。何に対しての示唆か? それは、「今のヤクルトに足りないもの」だ。

「日本シリーズ取材」を終えて、神宮球場に向かい、スタンドから現在の選手たちの姿を見ていると、どうしても、かつての名選手たちのことを思い出してしまうのだ。レジェンドたちが話していた「野球」と、目の前で繰り広げられている「野球」が同じものに見えないことはしばしばあった。ハッキリ言ってしまえば、レジェンドたちの野球は「大人の野球」で、目の前で繰り広げられている「野球」とはまったくの別物だったのだ。

 前述したように、92年当時のヤクルトは14年ぶりにようやくセ・リーグ優勝を果たしたばかりの発展途上のチームだった。いわゆる「ID野球」と称された野村克也監督の下、ヤクルトナインはめきめきと成長していく過程にあった。しかし、翌93年に西武を倒して日本一になると、その後は95、97年に、さらに若松勉監督時代の2001年に日本一を達成。ヤクルトにも黄金時代が訪れたのだった。「野村野球」はついに結実したのだ。