※「文春野球甲子園2019」開催中。文春野球のレギュラー執筆者、プロの野球ライター、公募で選ばれた書き手が、高校野球にまつわるコラムで争います。おもしろいと思ったら文末のHITボタンを押してください。

【出場者プロフィール】かみじょうたけし(かみじょう・たけし) 兵庫県代表 松竹芸能所属。兵庫県淡路島出身。平成元年に高校野球にハマり仕事もせずに甲子園球場に通いつめ、今年令和元年を迎え相変わらず仕事もせず甲子園球場に入り浸っている。

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 1969年決勝戦松山商業vs三沢。夏の甲子園過去の名勝負を振り返る際、必ず語られる試合である。ただ50年前の出来事であり、僕自身も本で読んだり、過去の映像を見たくらいで、この試合が長い歴史の中で実際どれくらいの事なのかはわからない。しかし昨年夏の100回記念大会で行われたレジェンド始球式でそれを肌で感じる事となった。過去の甲子園を盛り上げたレジェンド達が試合前に始球式をするわけだが、開幕試合では星稜出身の松井秀喜が、続いて板東英二、81年全国制覇の金村義明に、準決勝戦ではPL学園の桑田真澄、東北の佐々木主浩が投げた。そんな歴々の中、決勝戦大阪桐蔭vs金足農業の試合で始球式をつとめたのが、1969年松山商業エース井上明さんと三沢のエース太田幸司さんだった。歴史を重ねた聖地甲子園はお二人を選んだのだ。

1969年、三沢のエース太田幸司さん ©AFLO

甲子園に愛された男の魔力

 さて、そんな太田幸司さんとは数年前からラジオ番組では幾度となく共演させてもらっており、僕の中では甲子園の元祖アイドルではなく、関西のおもろいおっちゃんである。6年前、新聞で福知山成美のキャプテン太田幸樹選手が息子だと知る。

かみじょう「太田さん、言うてくださいよー」

太田氏「キャプテン言うても3番手ピッチャーなんですよっ」

かみじょう「甲子園行けるといいですねっ!」

太田氏「近畿チャンピオン京都翔英はいるし、平安や強いチームばっかり、夢のまた夢ですわっ」

 いつもイケイケの太田さん、息子さんの話になると多くは語らない。そんな福知山成美の夏が始まった。初戦から危なげの無い試合で4回戦もコールド勝ち、この勢いでと思われた準々決勝北嵯峨戦は2―0、成美2点リードで終盤、土壇場の9回裏に同点に追いつかれ延長戦に入るも11回に2点を入れた成美が辛くも勝利する。

 しかし実は10回裏にこんな事が起こっている。ツーアウトながら北嵯峨はランナー二塁に進め、レフト線を破るヒットを放つ。誰もがサヨナラを確信したその時、セカンドランナーが3塁を回った所で転倒、慌てて3塁に戻ってしまった。実際試合観戦していた方からは、ゆっくり立ち上がっても落ち着いてホームイン出来たと聞いた。甲子園に愛された男の魔力なのか。

 あと2つ勝てば親子で夢の甲子園が実現する。その前に立ちはだかったのが準々決勝で龍谷大平安を退け上がってきた秋の近畿地区チャンピオン京都翔英だった。

スタンドにいながらマウンドの勝負師を見た

 準決勝、僕はわかさスタジアム京都にいた。球場に入ると熱闘甲子園のテーマソング、コブクロの『ダイヤモンド』が流れている。ぱっと見てすぐにわかった。その左足の上がり方が映像で見た44年前の父親そっくりなのだ。一塁側福知山成美スタンドには控え部員、保護者の方々が並ぶ。そしてそのさらに奥、限りなく外野に近いところにポツンと2人の大柄な男性、太田幸司さんとどうやら近鉄時代の後輩らしい。

かみじょう「お疲れ様です! とうとう準決勝ですねっ!」

太田氏「かみじょうさん! わざわざありがとうございます!」

かみじょう「隣よろしいですか?」

太田氏「どうぞ!」

 試合は始まった。福知山成美のマウンドにはエース仲村渠康太投手が上がる。太田さんの真っ赤に日焼けしたその顔が連戦のサポートを物語っていた。ふと後輩が口を開いた。

「太田先輩! 今日は10点くらい取って真のエース幸樹君のマウンドみたいですよねっ!」

 その言葉に反応する。

「おい、今日はなぁ。なかり(仲村渠投手)と榎本のエース同士の投げ合いよ。20点取ろうが30点取ろうが田所監督はなかりで行くんよ。お前ちょっと黙っとれや」

 緊張が走る……。

 少し無神経な言葉ではあったかもしれない、が明らかにいつもの太田さんではない。スタンドにいながらマウンドの勝負師太田幸司を見たような気がした。試合は両投手の好投で得点をゆるさない。試合中盤だったか、成美のある選手がエラーをしてしまう。