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【出場者プロフィール】田澤健一郎(たざわ・けんいちろう) 山形県代表 編集者・ライター 1975年生まれ、山形県出身。高校時代は鶴商学園(現・鶴岡東)でブルペン捕手と三塁コーチャーを務めた元・球児。大学卒業後、出版社勤務を経てフリーの編集者・ライターに。著書に『あと一歩!逃し続けた甲子園』(KADOKAWA)がある。

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 数ある高校野球マンガのなかでも、『タッチ』を筆頭とする、マンガ家・あだち充の作品は、異質な存在だ。『タッチ』はそのブレイクとともに、いわゆる「脱・スポ根の野球マンガ」などと評されたが、そもそも、あだち充の高校野球マンガをスポーツマンガと呼べるか、という時点で議論は起こる。「高校野球はあくまで舞台であり、本質はラブコメ」という意見も多いが、それは否定できないだろう。

 だが、だからといって、あだち充が一連の作品で描いてきた高校野球の姿が、おざなりだったかといえば、そうとは言えない。王道のスポーツマンガでありながら、設定や細かな用語の使い方が雑な高校野球作品もあるなか、あだち充の高校野球関連の作品は、特に『H2』以降、旬な高校野球の話題や時代背景が作品にちりばめられており、大会システムなどの描写も基本的には正確。おそらく「通」や「マニア」と呼ばれるような高校野球ファンが見ても、「わかっている人だ」と共感できるレベルである。

 近年は野球マンガもリアル路線が主流になっているため、いまとなっては、それほど珍しいことではないかもしれない。だが、あだち充は30年近く前から、既にこうした姿勢で描いていたのだ。

 あだち先生(ここからは、あえてそう呼ばせていただきたい)は、あくまで想像だが、高校野球事情について常に情報収集を欠かさず、資料として専門誌をかなり読み込んでいることがうかがえる。ただ、その「反映」の多くは、一連の作品が「高校野球はあくまで舞台であり、本質はラブコメ」である故に、作中ではあまり目立たず、主題やストーリーの本筋とも直接的には関係ないケースが少なくない。あくまで設定の一要素、何気ない一言で終わっていることもある。

 細部のリアルさにこだわって作り込んでいながら、表現や役割はサラリ。そんなところに、トップを走り続けるマンガ家の凄みを感じると同時に、それもまた、マンガ表現からキャラクターに至るまで、あだち作品の根底に流れる「抑制の美学」の一種にも見える。上杉達也を筆頭とする、あだち作品の主人公たちは「努力や気遣いを人に見せない」のが美学なのだ。

2005年の第87回全国高校野球選手権大会 あだち充さんのイラストがプリントされた前橋商の応援団のうちわ

専門誌を読み込んでいるのではないか、と感じさせるエピソード

 筆者があだち先生の作品と現実の高校野球界のリンクを最初に感じたのは『H2』。主人公・国見比呂の女房役、キャッチャー・野田敦が発した次のセリフである。

「校舎の屋上で甲子園めざしてる学校もあるんだ。ぜいたくはいえねえな」
(『H2』第5巻P155「うちの姉ちゃんだよ」より)

 これは国見と野田が通う千川高校の野球部創部が決まり、練習グラウンドを作るシーンのセリフだが、目にしたときにピンときた。

「うちの姉ちゃんだよ」は、連載されていた『週刊少年サンデー』の平成5年第33号(1993年8月4日号)に掲載。実はその約1ヶ月前に発売された『第75回全国高校野球選手権大会予選展望号』(『週刊ベースボール1993年7月3日増刊号』)、いわゆる夏の甲子園・地方大会展望号に、このセリフを示すような記事があったのだ。

 タイトルは「コンクリート・ブルース」。その年、東東京大会に初出場する都立日本橋高校のルポである。都心のど真ん中、ビル街にある都立日本橋高校は校庭が狭く、新たに誕生した硬式野球部が練習するスペースはないに等しい。そこで目をつけたのが校舎の屋上。学校の特別予算で防球ネットを張り、バドミントン・コート2面分ほどの練習スペースを確保できた、というエピソードが紹介されていた。

「これは偶然なのだろうか? いや、あだち先生もきっと展望号を読んでいたに違いない」

 その気持ちは追々強くなっていった。なぜなら、その後も『H2』には、前出の展望号のようなベースボール・マガジン社の高校野球雑誌や『報知高校野球』を読んだのではないか、と感じさせるエピソードが見受けられたからである。

 当時、田舎の高校生だった筆者は、遠い存在だったあだち先生が、自分と同じ雑誌を読んでいるかもしれないという可能性に心を躍らせた(ほぼ、一方的な思い込みではあるのだが)。現在でこそ豊富になった専門誌やインターネットの普及で高校野球を筆頭とするアマチュア野球の情報は容易かつ大量に入手できる。しかし、1990年代前半は、まだまだ情報源が限られていた。だからこその「邂逅」だったのかもしれない。

 以降、あだち先生の高校野球作品を追っていくと、やはり旬な高校球界の話題をきっちり抑えていることがうかがえた。