「今はいつも『主役は最後にやってくる』と自分に言い聞かせています。そうしないと、メンタル的にきついので」
石川翔は素直に気持ちを吐露した。青藍泰斗高校からドラフト2位で入団した2年目右腕は今年、飛躍を期待されていた。去年の最終戦で初登板を果たし、1回無失点で初ホールドを記録。岩瀬仁紀、荒木雅博の引退試合に次代を担う若者が現れたとファンは興奮した。
「右肘に痛みを感じたのは10月下旬でした。でも、まだ張っている程度で投げられましたし、アピールしたかったので誰にも言わなかったです」
新体制で行われた11月の秋季キャンプも乗り切った。だが、右肘は一向に良くならない。11〜12月の台湾ウインターリーグで悪化し、1月の自主トレ、2月の春季キャンプでも回復の兆しはなかった。そんな状態にも関わらず、評価は上々だった。第1クールは2軍投手陣も1軍の北谷球場でしのぎを削ったが、首脳陣も裏方も解説者も「ブレイクするのは石川翔」と称賛。事実、ストレートは力強く、スライダーの切れ味は抜群だった。
ついに悲鳴を上げた右肘
「今、お前は頭一つ抜けている。清水(達也)や山本(拓実)と仲良くする必要はない」
同じ部屋の先輩が言葉を送った。
「(高橋)周平さんとはよく話をしました。高卒2年目の2人はライバルですし、負けたくない。その気持ちを完全に見抜かれていました。とにかく『群れるな。このまま突っ走れ』と。あと、毎晩のように言い続けていたことがあります」
ふるい落としのテストとなるシート打撃で石川翔は結果を出した。対戦した京田陽太は「速かった」と舌を巻き、「光るものがあった」と阿波野秀幸コーチもうなずいた。その日にただ一人1軍昇格が決定。2月上旬は石川翔が先頭を走り、その後ろを清水と山本が追う展開だった。
「あの時、右肘の状態を報告する考えは全くありませんでした。ただ、痛すぎてシャンプーができなくなった時はまずいなと思いましたけど」
3月15日。ナゴヤ球場の中日・オリックス戦。石川翔はウエスタン・リーグの開幕投手に抜擢された。しかし、4回9安打7失点。ついに右肘は悲鳴を挙げ、人生で初めて自ら試合中に降板を申し出た。
「立ち上がりは大丈夫でしたが、イニングが進むと、力が入らなくなりました。もう無理でした」
3月25日に右肘形成手術。若手投手陣の競争が本格化する時期に無念の途中棄権となった。立ち止まる石川翔。その横をまずは清水が抜き去る。5月12日の阪神戦に先発した清水は5回2失点でプロ初勝利。次の巨人戦で2勝目。7月上旬までローテーションの一角を担った。
「サンドラ(CBCテレビ「サンデードラゴンズ」)を毎週録画して寮の部屋で見ているんですが、清水特集だけは悔しくて見られなかったです」
次は山本。7月24日の広島戦でプロ初先発を果たすと、31日の阪神戦で初勝利。8月7日にはナゴヤドームで巨人戦のマウンドに立った。
「その試合はあえて見に行きました。刺激をもらうためです。3塁側の内野席でした。ずっと『絶対、あそこに立つんだ』と念じながら、観戦していました」