あのとき、北海道は野球バカの国になったんだ
ファイターズが来た04年、駒大苫小牧が甲子園で優勝して、深紅の大優勝旗が津軽海峡を渡った。そんな日が来ると思った? 駒大苫小牧は翌年も優勝して夏連覇だよ。
新庄フィーバーの06年は田中マー君が、ハンカチ王子の斎藤佑樹と投げ合って決着つかず、再試合して準優勝に終わった。感情が沸騰して、いつも針がレッドゾーンに振り切れるような日々だったんだ。そんなめちゃくちゃな日々、ファイターズはソフトバンク、西武との三つ巴の優勝戦線を勝ち抜き、シーズン首位通過、プレーオフの激闘を制して、北海道に日本シリーズを持ってきた。
日本シリーズ。
テレビで見てた遠くの出来事だよ。それが北海道にやってきた。もうさ、目抜き通りのビルはじゃんじゃん応援の垂れ幕を出しちゃってさ、みんな寄ると触ると野球の話さ。ダブル武田。セギノール。マシーアス。ひちょり。賢介。信二。鶴ちゃん。岡島。それから20歳の新エース、ダルビッシュ有。
街を歩いてる人も、駅員さん店員さんもユニホームを着ている。ユニホームを着て新庄の話をしている。あのとき、北海道は野球バカの国になったんだ。
みんな思い出してくれ、日本シリーズだよ。チケット争奪戦だよ。僕なんかホテルなくて苫小牧の王子製紙アイスホッケー部の選手アパートに泊めてもらったよ。アイスホッケーの選手アパートと札幌ドームの往復だよ。あんな幸せなことあった? あんな頭おかしくなりそうなことあった?
ユーチューブの動画をね、再生してみるとテレ朝の解説に栗山英樹さんがいるんだ。後にファイターズで長期政権を築くことになる指揮官はあの瞬間、札幌ドームにいたんだ。君はどこにいた? あれは忘れられないよね。
あんなことにならないかな。またならないかな。
マイケル中村が最後の打者、アレックスに3球目を投じる。打ち上げた。レフトフライ。背番号46番、レフト森本稀哲が左中間に少し駆けて捕球する。ゲームセット。カバーに来ていた新庄と抱き合った。永遠のハグだ。ファイターズの勝利だ、涙が止まらない。いったんマウンドに集まったチームメイトが全員で左中間の新庄のところへ移動する。
それは日本一の引退試合だったんだよ。そんなバカなことが起きたんだ。試合後の新庄のコメント。「持ってるわ、オレ。このマンガみたいなストーリー。出来すぎてる」。もう、コメントがバカみたいじゃん。でも、本当にそうなんだよ。新庄はメジャー帰りの入団会見で、2つ目標を挙げた。札幌ドームを満員にすること。チームを日本一にすること。それが本当になったんだよ。
僕はよみうりランドの「マイケル中村」の手形や、夜中こっそり見るユーチューブで胸の奥がつんとなりながら思うんだ。
あんなことにならないかな。またならないかな。今日どうなったって明日どうなったっていい。今、死んでもいい。いつまでもいつまでも泣いていたい。向こうから来る奴全員にハイタッチしたい。
北海道に日本シリーズが来たときはこんなだったよ。ファイターズが日本一になったときはこんなだったよ。
◆ ◆ ◆
※「文春野球コラム 日本シリーズ2019」実施中。コラムがおもしろいと思ったらオリジナルサイト http://bunshun.jp/articles/14451 でHITボタンを押してください。
この記事を応援したい方は上のボールをクリック。詳細はこちらから。