巨人時代に見抜いてたドラゴンズの潜在能力
(2)川相昌弘さん(2004―06 選手/07―10 指導者として在籍)
2003 年、巨人で通算512本の犠牲バント世界記録を達成。「バント職人」と呼ばれた川相さん。この年限りで引退を発表し、コーチ就任が内定していたが、オフに原監督が優勝を逃した責任を問われ辞任。これに反発した川相さんは引退を撤回し巨人を退団、他球団での現役続行を宣言した。
ジャイアンツを出るとき、新天地のあては全くなかったという川相さん。そこへ「テストを受けに来ないか」と声を掛けたのが、ドラゴンズの指揮官に就任したばかりの落合博満新監督だった。
「テストと言っても、普通に練習しただけです。落合監督にはこう言われました。『今さら技術とかを見たいわけじゃない。お前が本気で、まだ野球をやる気があるのかどうかを確かめるために呼んだんだ』」
こうして落合監督1年目の2004年、ドラゴンズのユニフォームを着ることになった川相さん。巨人在籍時にチームメイトだった落合監督は、高い技術と優勝経験を持つ川相さんが加われば、必ずチームにプラスになるという読みがあったのだ。一方、川相さんもまた、ドラゴンズの強さに気付いていた。
「反対側のベンチから見ていて、当時のドラゴンズは川上憲伸はじめいいピッチャーが揃ってるし、キチッとした野球をやればもっと勝てるんじゃないか、と思ってました」
就任当時の落合監督が「補強しなくても、10%の底上げをすればこのチームは優勝できる」と評したドラゴンズの潜在能力を、川相さんもまた、敵側の立場から見抜いていたわけだ。
「中にいる選手たちは半信半疑でしたけどね。落合監督は、ナゴヤドームの特性を活かした“守り勝つ野球”を徹底させて、選手たちに『こうすれば勝てるんだ』と示してみせた。それが1年目からうまくいった要因じゃないですか」
落合監督の宣言通り、戦力の底上げに成功したドラゴンズは、5年ぶりのリーグ優勝を飾り、川相さんも主にバント要員・守備固めとしてVに貢献。バントだけでなく、サヨナラヒットを2本打ったことも忘れてはならない。
気になるのは、巨人戦での分の悪さ
ドラゴンズ移籍3年目の2006年、川相さんは選手兼任で球界初の「メンタルアドバイザー」に就任。この肩書きも、落合監督の提案によるものだった。
シーズン中に一軍登録を抹消されても、チームに帯同して試合中にデータを取り、試合後、選手たちにアドバイスを送った川相さん。そんな陰の努力もあって、この年もドラゴンズはリーグ制覇を果たし、川相さんは優勝を花道に引退を表明した。ナゴヤドームでのシーズン最終戦が“2度目の引退試合”となり、通算533個目の犠打を決めた川相さん。
「2度も引退試合をやったプロ野球選手は、僕だけでしょう(笑)。24年間の選手生活で、ドラゴンズでの3年間が最高でした」
引退後も、指導者として4年間ドラゴンズに残り、大島・平田・福田・堂上直倫ら主力を育てた川相さん。現在のドラゴンズをどう見ているのだろう?
「投手出身の与田監督、捕手出身の伊東ヘッドの体制になって、再び“守り勝つ野球”を目指したことで、終盤で逆転される回数は減りましたね。伝統的にいいピッチャーが出てくるチームですし、今年は期待してもいいと思いますよ」
気になるのは、巨人戦での分の悪さだ。昨年は終盤巨人に6連勝したが、その前は5勝13敗1分と大きく負け越し、巨人に独走を許す一因となった。
「僕がドラゴンズに移籍したときは『ジャイアンツには絶対負けない!』という思いでプレーしてました。そういう気迫を持ってほしいですね」
ところで、なぜ筆者が2人に話を聞けたかというと、前田さん・川相さんは今週1月10日(金)から開幕する野球コント芝居『笑(しょう)あっぷあっぷナイター!!』に“役者”として出演するからだ。私も一部脚本・演出を担当しているのだが、ご両人の舞台勘の良さには驚くばかり。
12・13日(日・祝)は、同じくドラゴンズOBの田尾安志さんが、夫人のマダム・レイさんと一緒に出演する。詳細はこちらで。
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