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元阪神のオ・スンファンに沖縄で再会「自分がいた時が一番強かった」

文春野球コラム オープン戦2020

2020/03/01
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 寒い、寒すぎる……。前日から気温は10度以上低かったはずだ。レンタカーを降りた瞬間、薄手のパーカー1枚で来てしまったことを悔いた。沖縄本島のほぼ真ん中に位置する西海岸のリゾート地・恩納村。エメラルドグリーンの海を見渡せる位置に「ONNA赤間ボール・パーク」はある。温暖な地には似つかわしくない寒風に身を震わせること数分。韓国プロ野球・サムスンライオンズの呉昇桓は“予想外”と言っていい柔らかな笑顔を浮かべていた。「お久しぶりです。今日は阪神休みですか?」。驚くほどに上達している日本語のあいさつを聞いてこちらの頬も緩まざるを得なかった。

 彼の言った通り、担当するタイガースのキャンプ休日(2月17日)に合わせて赤間を訪れた。14年からタイガースに在籍した右腕を2年間、取材してきた。その後、メジャーリーグに舞台を移してからは、ほとんど接する機会はなかったが、昨年、13年までユニホームに袖を通していた古巣に復帰。サムスンも同じ沖縄でスプリングキャンプを張っていることを知って、他紙の顔なじみの担当記者たちと球場に足を運んだ。

 先述のように、意外だったのはすぐに「笑ったこと」。人間だから笑うこともあるだろうと言われてしまいそうだが、担当時代にはほとんどお目にかかれなかった表情だったから少し違和感があった。韓国で5度のセーブ王のタイトルを獲得するなど“ラストボス”として母国のマウンドに君臨し続けた男は感情を露わにせず、どんな窮地にも表情を変えない「石仏」と称された。タイガースも13年からメジャー移籍した藤川球児の穴を埋める存在としてそんな生粋のクローザーを欲した。

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笑顔を浮かべる呉昇桓 ©チャリコ遠藤

ブルペンで感じた投球スタイルの変化

 噂の通り、練習からほとんど表情を崩さず、ストイックに汗を流す姿に触れ続けた。もちろん、チームメートとは会話もするし、むしろ遠征先では日本人の後輩たちを食事に誘うことも少なくなかった。そんな一面を知ったのも時間が経ってからなのだが、こと取材という場では「石仏」そのもので、記者としてはなかなか苦労した記憶がある。スポーツ紙という性質上、技術論だけでなく意外な素顔など、プライベートなエピソードも読者にお届けしたいところでも「分かりません」「何も決まっていません」という返答がほとんど。唯一、「クン」と名付けたポメラニアンの愛犬がいることを本人から引き出すことができたのは嬉しい思い出だ。

 そんなことを懐かしんでいると、日本時代の22から1つ減った背番号21はサブグラウンドでのキャッチボールを終えると、隣接されているブルペンに向かった。昨年8月に右肘の骨片除去手術を行っていたことは知っていたので、順調に復帰への道を歩んでいることがうかがえた。実際、マウンドでの投球を見れば、確信に変わった。石直球、健在――。手のひらを密着させない独特の握りから繰り出される最速157キロの直球は、石のように重い球質から名付けられた。捕手の構えたミットに吸い込まれるまっすぐで力強い軌道。来日直後に違反投球ではないかと疑われもした、踏み出す左足が2度、地面に着地するように見える“2ステップ”も残ったままだ。

石直球、健在 ©チャリコ遠藤

 聞けば、術後では2度目の本格的な投球練習で「手術した後のリハビリの段階でも全然問題ないし、痛みもない。段階的に良い調子ですね。米国に行く前より肘の状態は良い」と豪語。興味深かったのは、日本の時より球種を増やしていたことだ。

「カーブとツーシームを投げている。特別なもの(理由)はないけど、ピッチャーは球種が多いほど良い。日本にいる頃はフクハラさんにフォークとか教えてもらって、米国にいる時は良い選手がいっぱいいるのでカーブを教えてもらった」

 日本で兄のように慕っていた福原忍(現阪神1軍投手コーチ)にフォークを教わり、カーブに関しては、師匠が誰なのか定かではないものの16年から所属したセントルイス・カージナルスにいるメジャー屈指の使い手として知られるアダム・ウエインライトから伝授されたのだろうか。いずれにせよ、投球スタイルの変化は日米の第一線で腕を振り続けた「歩み」を感じさせた。

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