いまは月給8万円になったけど……
中田 いえ、それが何も考えていませんでした(笑)。いま思うと、あんなにお客さんが少なくて、どうやって生きていたのかな、という感じなんですが……。ここは飲食店なので、食材が余ったら自分で食べちゃいますし、会社員時代の貯金もあったので、なんとかやっていけたのかな、と。でも、とにかくやらなきゃいけないことが多かったので、お客さんが来なくても落ち込んだりはしなかったですね。
――やらなきゃいけないことというのは、例えば新しい料理を考えたり?
中田 メニューを考えるのもそうなんですが、ここでは掃除なども全部一人でやっているので。あとは、予約の管理ですね。今はネットでやっているんですが、当時は全部自分でメールを受けて、返信してってやっていて、その仕事量だけでもすごかったので。だからへこんでいる暇がなかったですね。
――会社を辞めなければよかったな、と後悔することもなかったですか?
中田 そうですね。収入が激減するというのはある程度予想はしていたことなので。まあ、こんなもんだろうな、と(笑)。いま、私は月給8万円なんですけど、なんとかやってはいけています。
出演交渉は出待ちで直談判!
――ここはとても近い距離で落語を楽しめるのが大きな特徴ですよね。出演される方には、どんな風に声を掛けていらっしゃるのでしょうか?
中田 いろんなお客さんに来ていただけるように、なんとなく出演される方の芸風がバラけるようには考えています。若くて人気がある方にも出ていただきたいんですが、とにかく見てみたいと思わせるような、“芸”がすごい方に出てもらえるよう、力を入れています。
――そういう方たちは、寄席を見にいって探してらっしゃるんですか?
中田 そうですね。休みの日に寄席に行って、この人いいなと思ったら終演後に出待ちして、直談判したり。でも、はじめの頃は「なんだこいつ」みたいな反応の師匠たちも多かったので、いまはちゃんと店の資料を作って、「こういう方たちにも出ていただいています」と説明してます。怪しいものじゃないんです、と(笑)。
――ディレクター時代の目と経験が今も活きているんですね。出演された落語家さんたちの反応はいかがでしたか?
中田 ありがたいことに好評で、「ここはお客さんとの距離が近くて全部見えちゃうから、ちゃんとやらなきゃ!」と仰る師匠が多いですね。申し訳ないことに、ギャラはめっちゃ安いんですけど(笑)。ただ、ここは上野にも浅草にも近いので、寄席が終わってからもう1本、という感覚でいらしてくださる方も多くて。一応、それも狙ってこの場所にしているんです。