「初対面でこんな事を言うのもアレですが。今日で僕、20歳になったんです。良かったら一緒に乾杯してもらえませんか?」
少し照れ臭そうに、それでも真面目に彼は話し掛けて来た。彼の名前は宮下君。20歳になったばかりの前途有望な青年を「大人への階段」とばかりに文春にデビューさせる訳にもいかないので、ここではあえて仮名とさせて頂く。仮名とさせて頂くその宮下君が言った「今日」にあたる日は7月7日。今年のバファローズの7月7日は吉田正尚、それにアデルリン・ロドリゲスのホームランで日本ハム相手に7-1と大勝した日となった。
2000年生まれの彼がバファローズファンになったのは8歳の時だったそうだ。テリー・コリンズ監督からバトンを受け取った大石大二郎監督を中心にバファローズが後半戦の大快進撃を見せた年だと言う。確かに2008年の事だ。グラウンドでひときわ輝いていた坂口智隆(現・ヤクルト)と同じ誕生日だと知ってから彼は坂口のファンになったとか、2014年はその坂口を応援に福岡ドームまで駆けつけたとか、至って健全な野球好きの話をぶつけてくる。そこはあくまでド直球に野球好きの青年だ。しかし、話す言葉の節々の「関西人のそれとは違う」アクセントに少し違和感を感じる。それに20歳の誕生日に一人野球中継を眺める彼。その日は出来過ぎだったアルバースの投球よりも、むしろ自分はその彼の話に興味の大半を持って行かれてしまった。
「僕、全然友達が居ないんですよね」。彼の言葉に、最初はバファローズファンにありがちな自虐的な冗談なのかと一緒に笑った。けれどそれが「2020年を象徴する悲しい物語」なのかなと気付いた頃、イニングは2008年の快進撃の原動力、金子弐大(日本ハムファイターズ)がT-岡田を打ち取った6回裏になっていた。
手に入れるはずだったバファローズライフ
宮下君は一浪の末に関西大学に入学した。そう、今年大学の1年生になったばかりの青年だ。昨年は地元鳥取の公立大学に合格したのだが、どうしても関西の大学に行きたかった。大好きなバファローズをホーム球場で応援したい一心で関大を目指したという。不純な動機だとか、家に経済的負担を強いてとか、色々と悩んだのだがどうしても関大に行きたかった。そうして一浪を決意した為、昨シーズンはほとんど野球を見ていないと言う。が、まぁ昨シーズンのバファローズも7月半ばには「優勝浪人」とあいなっていたので、そこはそう大きな問題でなかった事だろうなと思ったが、一応はは大人、空気を読んでそれは伝えずにおいた。
そして今年は念願の関大に合格。さぁ、これから野球のある学生生活を送れると高まったその胸を、未知なるウィルスが不安で覆い尽くす事になってしまった。学校が始まらない。上阪出来ない。何より野球が開幕しない。誰も経験した事が無いような長い長い春休みを鳥取で過ごした宮下君は、一浪の末に手に入れた春のキャンパスライフも、新しい友達、なんなら念願の彼女と過ごすはずだった20歳の誕生日も、七夕の頃には首位を独走しているであろうと嘯く、恒例の「開幕までの」バファローズライフも何一つ手に入れる事が出来なかった。
彼の言葉の「関西人のそれとは違う」アクセントも、20歳の誕生日に一人眺める野球中継も何となく合点がいった頃、山田に変わって澤田がマウンドに向かった。7点差もあるから大丈夫だろうと自分は視線を中継から逸らした。まだあまりお酒には慣れていないのだろうか、彼のグラスにはまださっきのハイボールが沢山残っているようだ。