去年の夏、自分の企画したCMに高橋由伸元監督にでてもらった。ノンアルコールビールの夏のコマーシャルだ。ゴクッと飲んだあと海をみつめるその横顔に、「さあ、自由だ。」というコピーを書いた。もちろん商品の名前から生まれたコピーだったけれど、ひとりのファンとして、いろんな思いを一緒にしてきた偉大な選手のことをぐるぐる考えて言葉を選んだ。設定は、水平線のむこう、未来を睨む男。時代を拓く強い意思をもつ男。けれどカメラ越しに見るその横顔はどうにも穏やかなものだった。
僕たちはずっと高橋由伸を失ったままだった
撮影はまだペナントレースが始まる前だった。聞きたいことは山ほどある。言いたいことも山ほどある。川上憲伸から打った由伸、亀井、小笠原の3連発のこと。中日戦のあの激突のこと。開幕先頭打者初球ホームランの興奮。吉川尚輝みたいな選手をファンはどれだけ待っていたか。岡本和真の才能はどこまでいくのか。今年はどこが優勝しそうか。監督時代にとっていたあのメモには何を書いていたのか。野球の話をいっぱいしたかった。けれどいざ現場でいっしょになるとなかなか言葉がでてこない。きっと聞けばなんでも話してくれる、そんな柔らかな空気でいてくれるのに。
「野球をはじめてから、
はじめての夏休みなんで
どう過ごせばいいかまだわからなくて」
高橋由伸はメイキングカメラのインタビューにそう言って笑う。
2015年の突然の引退と監督就任。僕らは気持ちの整理がつかないまま、高橋由伸を失った。不本意にシーズンが終わった寂しさがさらに憂鬱を重くする。打率3割を超える代打の切り札を引退させる球団が憎くすらあった。それを受け入れてしまう選手に無力感を覚えた。監督になったユニフォーム姿の高橋由伸を見ていても、その喪失感は埋まらなかった。チームが低迷していたからかもしれない。希望の欠片を探すのにも疲れた。
それからずっと僕たちは高橋由伸を失ったままだった。去年の阿部慎之助の引退は美しかった。神宮最終戦でまさかのヤクルト小川監督の申告敬遠に僕は外野席で悲鳴をあげた。ありえない。野球を見せてくれよ。そう叫びながらそれでも心は満たされていた。その瞬間に立ち会えているという喜びがベースにあるからだろう。由伸のファンフェスタの引退セレモニー、あれは野球じゃない。最後の打席を、最後の打席としてみたかった。空振りでもいい。敬遠でもいい。もしかして打つんじゃないか。原だってそう言えば引退試合でホームランを打ってるじゃないか。先発が打ち込まれるとベンチのなかでメモをとる高橋由伸は、もう高橋由伸じゃなかった。僕たちはずっと高橋由伸を失ったままだった。撮影現場で穏やかに微笑む高橋由伸も、やっぱり僕の高橋由伸じゃなかった。それが無邪気な会話を躊躇させた。