学生時代「いつか伝えてみたい」と心躍ったのが優勝直後の「ビールかけ」。真剣勝負から一息ついた選手達が、ここぞとばかりに、はしゃぐ。普段試合の実況を担当するアナウンサーや記者も巻き込まれ、画面一杯に喜びが弾ける。私は今も、たとえベイスターズ相手に優勝を決めたチームでも「ビールかけ」のシーンは必ず見ます。これぞシーズンの喜びが凝縮された瞬間です。
まあ、でも、こればかりは念じても花開くとは限らない。「運が良ければ」程度に思っていたビールかけ会場での実況を、tvkに入って3年目、1998年に担当できたのです。「これから先、宝くじは買っても当たらないかも」と思ったほどの巡り合わせでした。
と、呑気に22年前へと思いを巡らせていると、今の状況下では何とも避けられない不安が膨らみます。多くのファンが妄想、もとい想定、いや確信しているベイスターズの逆転セントラルリーグ制覇。ですが、祝勝会の「ビールかけ」は行われない可能性が。あれほど慕い続けた歓喜の場が「こんな時代もあったよね」と語られ、思い出の片隅に収まってしまうかもしれない。
50歳代半ばの私は、最近の出来事は忘れ易くても以前の記憶は結構鮮明に覚えています。
経験が風化せず、安心して「ビールかけ」ができる日を願って、書き留めさせてください。
22年前の祝勝会「ビールかけ」の記憶
10月7日、甲子園へ。
前日ベンチリポートを担当したスワローズ戦は佐伯選手の決勝3ランで快勝、優勝へのマジックナンバーは2。「優勝が決まったら、そのまま特別番組を組む」と命じられ現地リポーターとして乗り込みました。それでもマジックナンバーは2。ベイスターズが勝ち、さらに神宮でドラゴンズが負けないと、この日の優勝決定はなし。「特番の可能性は低いだろうな」と、内心気楽に構えていました。そんな心境では、野球の神様が味方しません。午後4時15分、タイガース戦は雨で中止。試合は翌日に順延です。
実は、この順延が劇的に「いよいよ」の機運を高めました。ドラゴンズが敗れマジックナンバーはついに1。加えて同日優勝の可能性があったライオンズがダブルヘッダーの2試合目に勝ち、パシフィックリーグ2連覇。スポットライトは確実にベイスターズを照らします。
翌8日朝は、各社に割り当てられた甲子園都ホテル(当時)の一室で放送機材に囲まれながら、意気揚々と目覚めました。もう、昨日の自分ではありません。
ロビーで、ヘッドコーチを務めていた山下大輔さんから「お茶でも飲もうか」と他のスポーツ紙記者の方とともに誘っていただきました。雨が上がり、日が射す喫茶室での山下さんはどこまでも優雅。「まあ、自力で今日優勝を決められるよね」と穏やかな口調で話しました。
その後、祝勝会場となる予定のホテル地下駐車場を下見。正直「え、ここで?」という印象でしたが、ビールかけが可能な場所は他にないとのこと。一般の車には被害が及ばない様、厚めのビニールシートがかけられました。ホテルの担当者には2500本近くのビールを用意したと伺い「コップ1杯のビールで限界が来る私が、耐えられるかな?」と不安を練り込んだ期待が尽きません。
午前中の様子はtvk昼の番組に電話リポートして、甲子園球場へ。
試合の中継はサンテレビ制作でtvkがそのまま受けて放送。私は試合開始直前tvkニュースへのリポートを1分程。「先発斎藤隆投手」と伝えた後は放送席横での試合取材。時々、中継ゲスト解説に招かれていた秋山登さんと「どうでしょう?」とアイコンタクトをした覚えもあります。1960年初優勝時MVPで21勝した秋山さんの大きな瞳は澄んで輝いていました。
「今日は難しいかな?」という思いが頭をよぎる試合展開でしたが、8回2死満塁から進藤選手がライトへ逆転の2点タイムリーで、3対2。
8回裏からは佐々木投手がマウンドへ。
「もう、大丈夫」と確信した特番スタッフと一緒に、準備のため祝勝会場に向かいました。ですから、私は周りから「優勝のシーン、見られてうらやましい」と言われますが、佐々木投手がフォークで新庄選手を空振り三振!→権藤監督胴上げ→インタビューは甲子園都ホテルのロビーで見ていたのです。