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「君たちが戦争によって得たものはなにか」

 トカレフはまた、片言の日本語をおぼえていて、ときどき面白いことを言ってわたしたちを笑わせることがあった。

 トカレフは、若いに似合わず(あるいは若いからかも知れない)わたしたち俘虜にたいして深い同情と理解をもっていた。わたしたちは、その日の歩哨の態度によって大きな影響をうけ、作業の能率までがちがった。トカレフのときには自分たちも気づかないうちに仕事がよくすすんだ。そして歩哨の態度は当日の歩哨長の人がらいかんによることが多かった。トカレフが歩哨長になった日には、わたしたちの間でも気のせいか笑顔が多く見られたものである。

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 トカレフはある日、ようやくロシア語の会話をほとんどききとれるようになったわたしにこんな話をした。

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「君たちが戦争によって得たものはなにか。そして勝ったというわたしたちがこれによって得たものは一体なんだろうか。わたしはドイツ軍のために家を焼かれ、両親の消息も兄弟の安否さえもわからないままだ。君たちは君たちで、ひと握りの資本家や権力者の命令で戦争にかり出され、その結果このシベリアにまできているのではないのか。要するに、戦争に勝っても負けても、われわれ一般大衆はなんら得るものはなく、ただ失うものの方が多いのだ。

奇聞・太平洋戦争』(文藝春秋)

 ロシア人は戦争はきらいだ。そして怒ることも嫌いだし、いくらか鈍感とさえ言えるかも知れない。そして『ルスキー・イワン』(ロシア人のイワンの意)はなによりも我慢強いことが特徴だ。しかしイワンは一度我慢し、二度辛抱し、三度あきらめるかも知れない。しかし四度目には爆発する。そして一度爆発すれば、とことんまでつっ走るのだ。

 わたしももう除隊になりたい。自分の義務は果たした。しかし満期をもう2年も過ぎたのに、まだ除隊させてもらえない。君たちも家に帰りたいだろう。君たちも近いうちにきっと帰れるよ。あわててはいけない。体を大切にして、シベリアで少々働くんだな。すべては時とともに到来するものだ」

 わたしはトカレフの話のなかで最後の言葉がとくに印象に残った。これはロシア語で「フシェ スウレメニェム パストゥパイェト」というのだが、なかなか味のある表現だと思った。