昼食後の人数点検で事件は起きた
その日の昼ごろ、わたしたちは昼食の運搬されてくるのを今か今かと待ちわびていた。作業場が収容所から少々はなれているため、昼食は水汲みの馬車で作業場まで運ばれた。わたしたちは食事前になると空腹のために、足をふんばることができなかった。誰もがほとんど一分刻みに、収容所から作業場に通じる道路の方をふりかえっていた。
わたしはトカレフに近づいて話しかけた。
「タワリシチ セレジャント、今何時ですか」
タワリシチとは言うまでもなく「同志」の意であるが、当時わたしたちはそんな意味などおかまいなしに、「なになにさん」という程度の意味で使っていた。
「ゴジュー フン、ジューイチジ」トカレフは手のひらほどもあるキーロフ工場製の懐中時計を出して見ながら答えた。そして笑いながら言った。
「メシ、メシ、ダ?」メシは日本語であり、ダはこの場合“そうだろう”という程度のロシア語である。わたしは苦笑しながら答えた。
「ダ、ダー」
それからまもなく待望の昼食が配られ、トカレフ軍曹の特別のはからいで、あまり遠くに散らばらない程度で、3人、5人、思い思いのグループで、引き倒されたり、切り倒されたりしている木の陰で昼食をとることを許された。これが小隊長だったら、全員1カ所で食べさせられることがふつうであった。食事の後は、たいていのものは横になったり、マホルカとよばれるタバコを自分で紙に巻いて吸ったりした。短いけれども、楽しいひとときであった。わたしたちは、いつもこの時間が一刻でも長くなることを祈る気持であった。
昼休みの後、わたしたちは5列に並べられて人数の点検をうけた。食事のあと、近くの木陰に用便に出かけるものが少なくないので、歩哨としては自分たちのあずかってきている人数を確かめる必要があった。この人数点検は作業のはじめと終わりには必ず行なわれる行事であった。
トカレフは5人ずつ数えてみた。朝、収容所の門を出るときたしかに総数60人であったのに、どういうわけか3人足りなかった。歩哨長として受領のサインまでしてきた俘虜の人数が不足することは、重大な責任問題であった。トカレフは部下の兵隊と一しょに、もう一度、二度ゆっくりと数えなおしてみた。しかし結果は同じであった。日本側の中隊長の吉田少尉はみんなに聞いた。
「隣の者で、午後いなくなったものはないか、よく見てくれ」