2012年に始まり、2020年に終わる関係。一般的には「第二次安倍政権の話ですね」と連想するのかもしれませんが、違います。この期間は我が埼玉西武ライオンズと「房総のダルビッシュ(※暴走ではなく)」こと相内誠さんがともに過ごした期間です。相内さんはまだクビにもトレードにもなっていませんので「第一次」の終わりは未確定ですが、2020年をもってそうなる可能性はあると睨んでいます。

 8月20日、安倍総理退陣に先駆けて西武球団より発表された不祥事のお知らせ。そこには埼玉西武所属の2選手、佐藤龍世さんと相内誠さんが首都高速道路中央環状線山手トンネル内を、法定速度60キロを大幅に超過する速度で走行したと記されていました。一部報道では「89キロオーバー」だったとも言います。「法定速度よりオーバーしてる速度のほうが多いな……」「オービスの場所すら把握していない悪気のなさ……」「自分の直球より速くないですかね……」と半沢直樹も驚きの2.5倍返しのスピード違反。

 違反を犯したのは、すでに球団が外出禁止と定め、政府からも緊急事態宣言が発出されたのちの4月12日だといいます。佐藤龍世さんが運転するクルマ(だと信じる強い気持ち)に相内誠さんが同乗し(ていただけだと信じる揺るぎない気持ち)、ふたりは千葉県内のゴルフ場へ向かっていたそうです。なんと情けない。ゴルフ場ならメットライフドームのすぐそばに西武園ゴルフ場があるじゃないですか。何で誰もかれもわざわざ千葉県のゴルフ場に行って、オービスとか週刊誌とかに写真を撮られてしまうのか。どんだけオススメなんですか、そのゴルフ場。逆に気になって行きたくなりますね!

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「日常から年上の私が模範になるべきでした」などと悪い見本は申しており……。

 これで相内さんは公式記録としては3度目の不祥事による処分です。西武入団前の2012年12月、仮契約後に東京湾アクアラインを仮免のまま爆走した1ストライク目。入団後の2014年に未成年ながら飲酒・喫煙の事実が球団公式サイトへのタレコミから発覚した2ストライク目。そして今回の3ストライク目。ストライク換算だとピッチャー的には褒めている感じになるようであれば、2018年に起こしていたという自損事故による登板回避を加えた「フォアボール」でもいいですが、かなりの回数が重なってきました。メディア、ファンからも「やむなし」の声が上がっています。

 それは賢明な判断なのかもしれません。

 8年間で1軍の勝ち星ナシの投手です。もう十分に雇用主としてはガマンしましたし、戦力外という体裁での厄介払いをしても非難はされないでしょう。むしろ「ナイス損切り」と褒められるかもしれません。

 ただ、それで本当にいいのかなとも思うのです。

 相内誠から目を逸らしてはいけないと思うのです。

野球以外の能力を伸ばす環境があったなら……

 相内誠は埼玉西武ライオンズを映す鏡です。

 西武球団からたびたびお知らせされる、どこかプロ意識を欠いた、よく言えば大らか、悪く言えば緩い不祥事たち。いっそ「闇組織とつながって野球賭博」とか「ロッカールームの用具を盗んで売りさばく」とか「NOシャブNOライフ」とかの本格的な悪事であればスパーンと糾弾することもできるのでしょうが、やれ免停中にクルマでお出掛けして駐禁切られたクロイワ選手(仮名)とか、所沢のパチンコ屋でスロット打ちながらタバコを吸っている姿を目撃されたバジリスク選手(当時流行の機種名)とか、寮で喫煙していたら煙探知機が作動してバレたA選手(未成年であったことによる伏せ字)とか、不良高校生のような不祥事群には非難よりも先に「惜しい」という気持ちがわいてきてしまいます。

 何かひとつキッカケがあればそうはしなかったのではないか。環境面の助けがあればそうはしなかったのではないか。先輩、指導者、交際相手など何かひとついい出会いがあれば「人生の違う分岐」があったのではないか。そう考えてしまう「惜しい」の最たるものとして相内さんのことを見てしまうのです。西武じゃなくてソフトバンクだったらどうだっただろう。日本ハムだったらどうだっただろう。ロッテだったらどうだっただろう。オリッ……楽天だったらどうだっただろう。ドラフト会議での指名後早々に「西武ドライオンズに入団することができました!」とツイッターで言い放った、自由奔放なドラ息子を預かった責任について考えてしまうのです。

 もちろん埼玉西武ライオンズは教育機関ではありませんので「野球能力」だけを買っているのは当然のことですが、もうひとつ野球以外の能力を伸ばす環境があったなら。西武球団の伝統とも言える「惜しい」不祥事を生じさせる緩さがなかったなら。つまりは「西武でなかったなら」相内さんにはまだまだ人生の違う分岐があったのではないかと思ってしまうのです。たとえば「六本木の合コンに行きましょうよ」とノリノリの弟分に対して「バカモン! 今は不要不急の外出を控える時期だぞ!」「俺と一緒にメジャーリーグのビデオを見よう」「一番楽しいのはやっぱり野球だよな」と抱き止めてくれるような人たちに囲まれていたら、今回の不祥事だってなかったと思うのです。

 本人の資質と言えばそれまでですが、そんな資質を抱えた少年を野球に真剣に打ち込ませ、プロの指名を受けるまでに成長させた時期だってあるのです。2012年のドラフト会議後、相内さんのことを取り上げたTBS『ドラフト緊急生特番!お母さんありがとう 夢を追う親子の壮絶人生ドキュメント』なる番組では、中学1年から児童養護施設に入所し、そんな現実からか野球の練習に打ち込めずにいた相内少年の姿が紹介されていました。

 多感な時期の複雑な家庭環境、相内少年は野球もせず遊び歩き、高校進学への意欲もなくし、端的に言って「グレて」いました。しかし、相内少年は同施設の熱意ある職員さんや野球部の厳しい先輩、その他たくさんの人から「お前は野球をやるんだ」「お前と一緒に野球がしたい」という愛の諭しを受けて、道を外れそうになるところを踏みとどまり、やがてプロから2位指名を受けるまでに至ったのです。そのままグレさせていればどうなっていたかわからない少年を、「房総のダルビッシュ」と呼ばれるまでに飛躍させたのです。

 放っておいても勝手に成長するわけではない「人間」に向き合い、成績の良し悪しとは関係なく、プロとしての生き様を身につけさせていくこと。入団から8年を経てもいまだに軽率な不祥事を相内さんが起こしてしまうというのは、そのたびに埼玉西武ライオンズも何もできてこなかったということを示すものです。「相内ダメだなぁ」と思う気持ちが鏡に映すように西武球団にも跳ね返っているのです。