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連載刑務官三代 坂本敏夫が向き合った昭和の受刑者たち

「絶対に殺してはいけない」現場が声を上げた死刑囚…その最期の瞬間に待っていたもの

――死刑囚・永山則夫の実像#2

2020/12/26

genre : ライフ, 社会, 歴史

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迫る死刑の執行

 この照会が来てからはすぐに本省に忖度して執行しようという所長の意を汲んだ幹部職員が『死刑執行できない事情無し』という法務省の望んだ答えそのまま、結論ありきの報告書を作成し提出している。少年Aの審判すら始まっていない、逮捕から1ヵ月後の7月には、拘置所内部の職員は近いうちに永山の死刑が執行されるという認識になっていた。

東京高等裁判所 ©文藝春秋

「1997年には私は刑務官を辞め作家生活に入っていましたが、酒鬼薔薇事件が起こった直後から、これは永山に執行命令が来る可能性が少なからずあると思い注視していました。

 まだ現職の刑務官たちとのパイプはありましたので様々な思い、情報が寄せられました。

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 死刑の執行を毎回担当するのは毎日、死刑囚の運動や入浴に立ち合っている警備隊所属の若い刑務官たちです。彼らと永山は言葉を交わし、冗談さえ言い合っている仲ですから、互いにリスペクトさえ生まれている人間関係と言えます。柔道、剣道の段位持ちの猛者でも 死刑場の清掃、ロープや滑車の手入れをするのはつらいものです。永山のことを思うと心はボロボロになっていたといいます」

永山則夫の最期

 8月1日金曜日午前、永山の死刑は執行された。坂本はその非道な最後を現場の刑務官から送られて来た匿名の8通の手紙で知ることになる。

©iStock.com

「死刑執行後、本来は遺体を遺族や身元引受人に引き渡します。遺族らが遺骨での引き取りを申し出た場合は、火葬許可書記載の日時に拘置所は遺族らを火葬場に同行し、骨上げをさせて遺骨を持ち帰らせるのです。

 ところが、永山の場合は引受人である弁護士に遺体を見せず、拘置所が葛飾区の斎場で火葬した4日月曜日に、遺骨を引き取りに来るよう通知したのです。