奥崎謙三(1920年~2005年)は、言わずと知れたドキュメンタリー映画「ゆきゆきて神軍」で描かれた人物である。世界三大映画祭のひとつ、ベルリン国際映画祭でカリガリ賞を受賞した同作品は1987年公開であるが、いまだに根強い支持と人気を獲得し、昨年は奥崎の生誕100周年ということで再び全国の劇場で公開された。時代を超える日本のドキュメンタリー映画の最高傑作と言われるその「神軍」の最初の公開時資料から、奥崎の紹介文を引く。
1920年、兵庫県生まれ。第二次大戦中召集され、独立工兵隊第三十六連隊の一兵士として、激戦地ニューギニアへ派遣される。ジャングルの極限状態のなかで生き残ったのは、同部隊1300名のうちわずか100名。1956年、悪徳不動産業者を傷害致死、懲役十年の判決。1969年、一般参賀の皇居バルコニーに立つ天皇に向かい「ヤマザキ、天皇を撃て!」と戦死した友の名を叫びながら、手製ゴムパチンコでパチンコ玉4個を発射。懲役一年六ヶ月の判決。戦後初めて天皇の戦争責任を告発した直接行動として衝撃を与えたが、マスコミ等の報道や裁判審理過程においては、その主張の本質は徹底的に回避される。1972年、“天皇ポルノビラ”をまき、懲役一年二ヶ月の判決。1981年、田中角栄殺人予備罪で逮捕、不起訴。1983年、元中隊長の息子に発砲。1987年、殺人未遂等で懲役十二年の判決
戦闘のみならず補給路を断たれたことによる飢餓と熱帯の感染症に苦しめられた地獄のニューギニア戦線から奇跡の生還を果たした奥崎の戦後の半生は、天皇の戦争責任を問うことと、敗戦を迎えた後に部隊内で起きた戦争犯罪の追及に費やされた。
奥崎は神戸でバッテリー商を営みながら、亡くなった戦友の墓参を続けるうちに、現地では終戦を迎えていたにも関わらず、上官たちが銃殺事件を起こしていたことを知るのだ。自らを人間の作った法と刑を恐れずに行動する「神軍平等兵」と名乗り、遺族を連れてかつての上官の家を訪ねては、真相究明と責任を追及する。銃殺の引き金を引いたとされる村本という上官を自らが殺害することを周囲に宣言し、実際に家で対応に現れた村本の息子に発砲して殺人未遂で四度目の懲役に服している。
坂本敏夫が奥崎と出会ったのは、上記の半生で照らし合わせれば、一度契約をして金銭の授受もしておきながら、意趣返しでそれを破棄するというトラブルのあった不動産業者を殺害し、大阪刑務所で服役中の1967年。すなわち、坂本が大学を中退して父の跡を継いで刑務官としての公務をはじめた19歳のときであった。実は着任後に坂本自身がその遠因に気づかされるのであるが、奥崎の存在が坂本を刑務官に就かせたとも言えるのである。どういうことか。
坂本の人生が一変した大学1年のある日
広島・基町高校出身の坂本が法政大学の野球部に入ったのは、1年先輩の山本浩二、田淵幸一、富田勝、法政三羽烏と同様にプロ選手になる夢を描いてのものであった。しかし、身辺に突然異変が起こる。大学に入学してしばらく経つと、その春に広島拘置所所長から、大阪刑務所に管理部長として赴任していた父親が突然心を病んでしまうのである。