お姉さんが教えてくれた、カメラから見える世界
條辺選手の現役時代の記憶は、キリッとしたカッコいい投手が、速い球を投げている、というふわふわしたものしか残っていない。けれども、引退後「讃岐うどん條辺」の店主としてインタビューを受けていた際、ふにゃりと笑ったのを見て、「ああ、そうだ。この人は、写真の中でもこんな風に笑っていた」と、記憶が蘇った。
お姉さんも、條辺選手が、そんな風に柔らかい表情を見せた時や、大勢のライバルがいる中で、1軍に這い上がろうともがいている時、マウンドとは違う表情を見せるその瞬間を「尊い」と感じ、カメラを手にとったのではないだろうか。
……そうか、今、西武ドームにいる私の、後ろの方の座席の人は、知らないのかもしれない。カメラのファインダー越しに見える選手の表情の変化や、中継カメラには映らない、選手の魅力があることを。
球場を見渡せば、カメラで楽しんでいるのは「女子」だけではない。老若男女が、一眼レフからスマホのカメラ、様々なデバイスで写真を楽しんでいる。それぞれ想い想いの瞬間を、写真という宝箱に、大事にしまい込んでいる。
それに気付かせてくれたのは、他の誰でもない、あのお姉さんだ。今の私と、当時のお姉さんが出会えたなら、きっと良い観戦仲間になっているだろう。もしかしたら今この時も、一緒に写真を撮りに来ていたかもしれない、なんて想像する。
私、「にわか」です
「ああいうカメラ持ってる女子達って、『にわか』なんだよ」
もし、今、あのお姉さんが隣にいたなら。この言葉を気にも留めなかっただろう。それほどの楽しさが、興奮が、カメラにはあるのだから。
「にわか」。「変化が急に行なわれ、かつその変化がすぐやむ様子」を「にわか」というのなら、私は「にわか」と言えるだろう。選手が躍動するその刹那を切り取るため、一瞬一瞬「にわか」に心を燃え上がらせる、「にわかファン」だと。
私が今、一眼レフを取り出せば、後ろの人から「あそこにも『にわか』がいる!」と指を差されるかもしれない。それがなんだ。その時は、私も堂々と言うのだ。「ええ、私は『にわか』ですよ。あなたも『にわか』になりませんか?」と。
練習のために、ベンチから西武の選手が出てくる。私はバッグのファスナーをぐいっ、と開け、一眼レフをがばり、と取り出す。望遠レンズをガチャン!とはめ込んで、岡田選手に照準を合わせる。今しかない、二度とない、この「にわか」な一瞬を残したくて、私は連写のシャッターを切ったのだった。
◆ ◆ ◆
※「文春野球コラム ウィンターリーグ2021」実施中。コラムがおもしろいと思ったらオリジナルサイト http://bunshun.jp/articles/43783 でHITボタンを押してください。
この記事を応援したい方は上のボールをクリック。詳細はこちらから。