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「巨人ドラ1は十字架でしかなかった」運命に翻弄された谷口功一の今

文春野球コラム ペナントレース2021

2021/04/09
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――巨人を恨んでいませんか?

 そう聞きに来たはずなのに、なかなかうまく切り出せずにじりじりと時間が過ぎていった。

 身長191センチの巨体は数字以上に大きく感じる。さらに淡々とした低音ボイスには、えも言われぬ威圧感がある。

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 谷口功一。1991年のドラフト会議で巨人に1位指名された巨人OBである。

 間違いなく、大物だった。動画サイトにアップされている過去の映像を今見ても、うなるような剛速球に驚きを覚える。だが、その豊かな才能は読売ジャイアンツという巨大な存在にのみ込まれ、ひっそりと葬られてしまった。

現役時代の谷口功一

「1週間で何球投げてんねん」たまっていく右肩の疲労

 幻の大物・谷口に巨人を語ってもらうために、私は大阪までやって来た。無念、悔恨、憤怒……。さまざまな負の感情が、いまだに谷口のなかに渦巻いているのではないかと仮説を立てて。

「あれから20年以上も経っているのに、三本柱のCMが流れているんですからねぇ」

 谷口はしみじみと語った。

 モバイル決済サービス・AirペイのテレビCMに、1980年代から90年代にかけ巨人で先発ローテーションの軸になった斎藤雅樹、槙原寛己、桑田真澄の三本柱が出演している。谷口が入団した当時、三本柱は全盛期を迎えていた。

「3人で45勝しちゃうんですから。今の巨人は菅野(智之)が15勝しても、まだ1人だけでしょう。当時は他にも宮本さん、香田さん、木田さん、水野さん、橋本さん、石毛さん……。すごいメンバーでした。相手のバッターを抑えるより、巨人のチーム内で勝つほうが難しいと思っていました」

 本人はそう語るが、谷口のポテンシャルとて桑田をはじめ多くの先輩から「すごいな」と絶賛されていた。

 2年目のオープン戦では秋山幸二、清原和博のAK砲を擁する王者・西武を抑え込み、谷口の中にも「1軍でやれる」という自信が芽生えつつあった。

 だが、谷口は不可解な処遇に振り回される。ファームで先発して長いイニングを投げた翌日に1軍に呼ばれ、ブルペン投球をさせられる。1軍本隊が遠征に出ると「ファームで投げてこい」と、またも長いイニングを投げる。その翌日にはOB解説者のリクエストに応えるため、再び東京ドームのブルペンで投げる。そんな日々が繰り返された。

「今にして思えば、1軍と2軍の首脳陣の間で連携がうまく取れていなかったのかもしれません。期待の表れだったんでしょうし、自分も『チャンスや』と思っていました。でも、1週間で何球投げてんねん、というくらい投げていましたね」

 2年目の8月、ファームの試合中に事件は起きる。バント処理で二塁に送球しようとした谷口は、右肩がねじれる感覚を覚えた。一瞬、何が起きたのかわからなかった。

「それまでずっと腕が抜けるような違和感があったんですけど、『夏の疲れかな?』くらいにしか思っていませんでした」

 それ以来、谷口功一のボールは失われてしまった。当時の医学では手の施しようがない状態だった。

 谷口は1997年に巨人から戦力外通告を受け、その後は西武、近鉄でプレー。最後はアメリカの独立リーグに渡り、2002年に引退した。

 意を決して聞いた。巨人を恨んでいませんか?

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