プロ野球がない国で得た人情、友情、松井秀喜への慕情
日本の友人たちからは、野球関連のテレビ番組が録画されたVHSのビデオカセットテープが頻繁に国際郵便で届いた。
「野球のない国で無事に生きていますか? 読書好きが本のない国に行ったようなものだとみんな心配しています」
「君が喜びそうな巨人の特集番組をテレビでやっていたので送ります。松井特集もあります」
同封されていた手紙を読むたび、人の優しさが身に染みた。
ある友人はプロ野球ニュースを毎日録画し、定期的に郵便で送ってくれた。春を迎え、1994年度のペナントレースが始まると、その友人は巨人戦のテレビ中継も全試合録画し、2週間に1度、まとめて送ってくれた。
おかげで最大で3週間近いタイムラグはあれど、転勤時には望んでもいなかった巨人の若き3番打者・松井の2年目の歩みをほぼ全て映像でチェックすることができた。
1年目の松井のホームランは、バットとボールが正面衝突したかのような弾丸ライナー系ばかりだった。だが、2年目のシーズンはバックスピンのかかった高い飛球が放物線を描きながら、ゆっくりとスタンドに舞い落ちる。観客が素手で捕ってもあまり痛くなさそうな、優しいタイプのホームランが時折出現するようになっていた。
(ホームランのバリエーションが増えてきたのは嬉しいなぁ……。やっぱり将来的に年間40~50本打ちそうだなこの男は……!)
夏を迎えた頃、バーで知り合ったマークという名の野球好きのアメリカ人駐在員と友達になった。巨人戦のビデオ鑑賞がしたいというので住んでいたアパートに招くと、リモコン片手に何時間も見ていた。
「マツイのパワフルな打撃が好きだなぁ」
「20歳になったばかりだなんて信じられない」
「丈夫そうな体がいい。絶対にアメリカでも通用する選手になるよ」
そんな感想を述べていた。
前年、フリーエージェント制度が日本球界にも誕生した旨を伝えた。
「お、じゃあ数年後、おれの地元、シカゴ・カブスの一員になるかもな」
マークはそう言い、笑った。
9月、会社から帰国せよとの辞令が出た。任期は最短の1年で終了した。
「寂しいけど、野球がある国に戻れるのは羨ましいな」
マークに日本に帰ることを伝えると、そんな言葉が返ってきた。
「ジャイアンツは今どうなんだ」
「独走Vかと思われたけど、終盤に急失速してドラゴンズに追い上げられてる。やばい」
「早く帰らないとだな。優勝を願ってるよ」
勝った方がリーグ優勝という世紀の決戦「10.8」の10日前に帰国した。リアルタイムで野球が見れる幸福を噛みしめずにはいられない体になっていた。
「カブスじゃなくてヤンキースだったのは残念だけど、あのマツイがメジャーに来たのは嬉しいよ。応援してるから!」
そんな祝福メールがマークから届いたのはその9年後のことだった。
巨人戦を全試合録画し、松井秀喜のプロ2年目の映像をフランスに届けてくれた友人は現在、私の妻。
感謝の念はおそらく一生消えないのである。
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