「正直、少し気になってしまっていた自分はいました」
そんな荻野だが、ここまでの道のりは平たんなものではなかった。関西学院大学時代の4年春にはリーグ記録を更新するなど17盗塁をマークしたが、社会人時代は3番を打つことも多かったこともあり今のような盗塁術は身につけていなかった。2010年、1年目の春季キャンプではチームが走る野球を掲げる中で盗塁を求められたがプロの壁に苦しんだ。
「足は速い自信はありましたけど、盗塁に関して社会人時代にそこまで意識していなかったこともあり最初は苦しみました。チームが走るチームを目指していたので自分は足でアピールして一軍を掴もうと必死でした」
塁に出てもなかなかスタートを切れない。毎日、パ・リーグ投手、他球団の選手の盗塁の映像を見て研究した。コーチ陣も一緒になってビデオを見てアドバイスをくれた。1年目の研究の日々が今も生きている。
「映像を何度もチェックしました。ああ、こういう風に研究すればいいのだという発見がありました」と当時の事を振り返り、今も一緒に映像を見て親身にアドバイスをくれた人たちへの感謝の気持ちを持ち続けている。
怪我との闘いの日々でもあった。1年目は右膝半月板損傷。2年目の2011年には右膝の軟骨を痛めた。2013年には右足を肉離れ。2014年には左肩を脱臼した。2015年には左足を肉離れ。2016年も左脇腹を肉離れするなど戦線を離脱した。2018年は初のオールスター出場を目前に控えた7月に右手人差し指に投球を受け骨折。毎年のように故障して離脱した。その状況下での12年連続二桁盗塁の記録だけに価値がある。これについて荻野は「シーズンの半分以上、休んでいた時期もあったのでこの記録を聞いた時は正直、え、そうなのと自分も驚きでした」と振り返る。そしてこの記録を知った時期について「2年ぐらい前にそれを知って正直、少し気になってしまっていた自分はいました」と照れ笑いを浮かべた。無心を貫く男が、頭の片隅に記録への意識はあったことを認めてくれた。こういった部分もまた荻野の人間らしさといえる。
「人生にはいい時も悪い時もある。悪い時はチャンスだと思ってやっています。怪我した時、調子が悪い時も良くなるチャンス、成長するチャンスだと思うようにしてやってきました。そうして12年目になり、今があります」と荻野。
ロッテの連続二桁盗塁の記録は2年目から14年連続の有藤道世がおり、その記録更新への期待も高まる。しかし荻野が視野に入れているのは目の前のことのみ。これからも盗塁を重ねて切り込み隊長としてチームを引っ張り、1974年以来となるリーグ1位でのリーグ優勝を目指していく。いい時も悪い時も平常心を保ちながら家族に支えられながら、コツコツとチームを勝利に導くプレーを重ねていく。荻野貴司はそういう男だ。
梶原紀章(千葉ロッテマリーンズ広報)
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