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「このままでいいのか…」元ベイスターズ小杉陽太が綴る、野球から逃げたあのころ

文春野球コラム ペナントレース2021

2021/08/21
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「明日からうちに練習しにきなさい」

 2ヶ月が経とうとしたあたりだろうか。当時JR東日本の監督であった堀井さん(現慶應大学)から連絡があり投球を見に来てくれるとのことだった。いきなりの連絡で驚きはしたが、この時は意識的に運に頼っていた。引き寄せるなんてカッコ良い言葉では無い。すがる思いだった。

 当日は朝から緊張していたが、ピッチングを始めると不思議と自信しかなかった。

 毎日練習を続けていたので体力的にも技術的にもなんとなく感覚が戻っていた。トレーニングの成果もあり、キャッチボールの時点で「いける!」と確信した。

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 ブルペンに入ると、人生で3本の指に入るほどのボールが投げれていた。

 3球投げたあたりだろうか。「もう良いよ」と言われた。

 これはどっちだ……と不安になった。流石に不合格かなと思った。自分の運もここまで、むしろ良いピッチングが出来るように運に頼るなんてアホだなと。

 しかし、「明日からうちに練習しにきなさい。目が死んでないから安心した」と想像と真逆のお言葉を頂いたのだ。物凄い振り幅に驚きを隠せなかったが、心が踊ったのと同時に自分を許容してくれた周りの方への感謝と、つくづく運が良い男だと改めて強く感じた。

 後日談だが、堀井さんは仮に大学4年時にドラフトで指名されなかったら私に声をかけるつもりだったらしい。3年時にオープン戦をした際に私がいなかったことから居場所を探し各所に義理を通してくださり私を獲得してくださった。また、会社あっての野球部なので、野球部の枠は空いていても採用の時期も過ぎており、かなり頭を下げて頼み込んでくれたらしい。

 頭が上がりません。

©小杉陽太

 私は兼ねてからベイスターズファンと公言している。甲子園に出場した際のアンケートや各媒体でも発言している。

 きっかけは、小学校の卒業式後に横浜ベイスターズのオープン戦を横浜スタジアムで観戦したことだ。

 98年の日本一になったシーズン。

 試合の結果は覚えていないが当時はまだオレンジ色のベンチに座って、流れる浜風や鳴り物の応援、ハマスタの雰囲気に惚れたのを覚えている。

 試合終了後に人ごみについて行くと、そこは駐車場の外側の柵の前でファンの人が溢れかえっていた。

 私も選手の名前を把握することなく、子供ながらにサイン欲しさに選手を待ち構えていた。

 そこに現れたのは他でもない現監督の三浦大輔選手だった。

「サイン下さいー!!」と子供ながらに叫ぶと、三浦選手は私に近づいてきてくれた。

 縁石をよじ登ってサインをもらいに行こうとしたが警備員さんに止められて念願の初サインは頂けなかったが、プロ野球選手を間近に見た感動と、こんな僕に応えてくれた三浦選手の優しさに感激した。小杉少年に夢のキッカケを与えてくれた。

 この話をプロ入り後に三浦監督に話したが全く覚えておらず笑い話になった。

 当時の話をプロ野球選手としてご本人に話すことが出来るとはつくづく運の良い男だ。

◆ ◆ ◆

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