奥川恭伸投手・内山壮真捕手、2人の星稜高出身選手のスワローズ入団を契機に、長年の他球団ファンから「転籍」した者がいる。著述家・編集者・分類王の石黒謙吾氏もそのひとり。氏が溢れる星稜愛、そして、奥川愛・じわじわ増してきたスワローズ愛をここに綴る。
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「耐えて勝つ」。奥川がタオルにプリントしたのは名門・星稜の部訓
「耐えて勝つ」。元・星稜高野球部監督・山下智茂氏発のこの部訓を、プロ入り後自らの球団グッズであるタオルにプリントし、この1年でひたひたと実践してきたのが、若いツバメ……もとい、若き燕のエース格・奥川恭伸だ。子供の頃から呼ばれていた愛称「ヤス」を英字にし「YS」と野球帽に入れることを許されるほど、球団の期待は大きい……。
昨夜の神宮で、巨人相手にプロ入り初の完投、完封。しかも無四球98球のマダックス投球。星稜関東同窓会グループLINEでも歓喜の盛り上がりだった。因縁の日の快投、感無量。
奥川は、昨日11月10日、CSファイナルステージ第1戦に先発した。奇しくも昨年、プロ入り初登板で先発し、カープ打線に木っ端微塵に打ち込まれたのがこの日。星稜の41期先輩として、その日はスコアを付けつつ現地観戦した。
観客席全体には、「星稜」と書かれた黄色いタオマフを首に巻いた同窓生が相当数いて、これはまるで夏の甲子園アルプスかという景色だった。そんなOB同士並んでスマホから「星稜コンバット」(ブラバン応援曲)をかけつつ熱視線を送ったが、2回0/3で被安打9自責5。どつき回され感溢れる洗礼。スコアを見返すと四死球がない点が今季のK/BBのすごさを予見しているが、とにかく本人にとってほろ苦い……いや、激苦い57球の記憶なはず。そこを糧に今季は一歩一歩踏みしめるように結果を出してきて、ぴったり1年後、「耐えて勝つ」を野球ファンに刻み込むための晴れ舞台がやってきた。
生まれながらの「アンチ巨人」が流れに流れ……
僕は、オギャーと生まれてからアンチ巨人。アルファベットは、ABCDEFHIJK――とGを飛ばして25文字ということにしていたし、某牛丼店の看板の黒とオレンジを見ると避けて通っていた。
小4の頃、田淵幸一のホームランで阪神ファンに。中3で、赤ヘル元年・ルーツ監督が提唱する野球の斬新さに惹かれ広島ファンに。高3秋には、星稜1学年上の小松辰雄さんがドラフト2位指名されその後42年間は一筋の中日ファン。松井秀喜が巨人に入団してもGになびかなかった。それなのに、昨年からジワジワと真正ヤクルトファンに転んできた自覚が……。これはひとえに奥川後輩の人間的な魅力。おそるべし。
星稜中に立ちはだかった宇ノ気中のエース奥川
奥川は中学時代にその名を知った。軟式の全国大会で優勝を何度も経験している星稜中の前に立ちはだかる、地元石川・宇ノ気中のエース。「すごいのがいるらしい」と中学野球関係者や地元高校野球通から噂は届いていて、宇ノ気中は日本一にも輝いた。この中学のユニフォームは、スカイブルーのアンダーシャツと帽子とストッキング。これ、地元ではまんま、金沢高校のイメージ。「これはまずい……金沢高校に行くのかな」と思っていたら、ウチに来てくれてホッ!
その後某情報筋から、僕の星稜で同期のYがその当時野球部OB会長をやっていて、同じ宇ノ気中だったということが理由のひとつではと聞いた……。まあ、ありえる話。
青系統のユニフォームを着続ける奥川
ちなみに奥川の小学校時代に所属していた学童チーム「宇ノ気ブルーサンダー」もユニは青系統。小中高と青系で来ていたから、ドラフト当日は、中日か横浜か西武かヤクルトかと思っていたら、ほんとに青系に。持ってるというかなんというか。
えーっと、次は、メッツかドジャースかロイヤルズかブルージェイズかマーリンズか、ヤクルトと同じく紺のヤンキースまであるか……夢は広がる。
“てっぺん”を取れずに終わった高校時代
高校時代の奥川は甲子園のスターではあったが、てっぺんを取れずに終わっている。明治神宮大会も、決勝の登板は最後の1回1/3だけなのだ。
そういう意味では、プロ入り後、まずは今年、頂点に駆け上がることも、自らの野球人生において「耐えて勝つ」を示すことになる。