プロ野球界の実情を知らない中で金子氏が考えた戦略
金子はどう動いたのか。
「当時の僕はプロ野球界の実情など何も知りませんでした。だから全て自分の想像だったんですが、球団もシーズン中は目の前のことで一生懸命だから人材を探すのはオフに入ってからだろう、ドラフトがその年は10月下旬だったからその辺りから本格的に動き出すかもしれないとか」
だから、金子は10月上旬に各球団宛に履歴書と自己PR文を送付した。それも自分なりの戦略だった。
「通訳を公募する球団も少なからずありますが、それは一部。おそらく内部の縁などで雇用しているのではないかと思ったんです。それならば、まずは自分を知ってもらわないといけない。それに、公募となれば球団にとっても労力になりますから、出来れば避けたいはずだと」
送付先はとりあえず球団事務所。担当者など分からないから「今思えばとんでもないけど、社長宛に出したりしていました」と苦笑いする。怪しいものと思われてもいけないので、コスタリカの現地スタッフからの推薦状も同封した。
その甲斐あって複数球団からオファーをもらい、その中からホークスに入団することになった。
「どのチームに入っても貴重な経験が出来たと思いますが、ホークスでは日本一を何度も経験させてもらいましたし、素晴らしい選手たちと近くで接する機会に恵まれました。一昨年の日本一の後、モイネロに『ぼくら外国人選手にとって通訳の存在が少なからず成績を左右する。タイトルを獲れたこと、僕が優勝、日本一の一員になれたのは君のおかげでもあるんだ』と言ってもらえたのは今も憶えています」
ホークスを退団して……次なる夢はコスタリカを「野球大国」に
そんな金子から筆者に連絡があったのは、昨季が終わってしばらく経った頃だった。
「今季をもってホークスを退団することになりました」
本来描いた夢は教員になること。ホークスで一定の経験を積み、いよいよその道を歩み始めるのかと思ったが、金子は全く違うことを言い出した。
「またコスタリカに渡ろうと思うんです」
日本のプロ野球、ひいては米大リーグには野球を職業として何億円という大金を稼ぐ選手たちが大勢いる。一方でコスタリカには今も裸足で学校に通う子供たちが何人もいた。
「同じ時代を生きているのに生まれた場所が違うだけで『野球で稼ぐ』『野球で生きていく』という選択肢がコスタリカにはないんです」
先述したようにコスタリカはサッカー大国だ。サッカーで大成功を収める若者はもちろんいるが、一方で「サッカー以外の選択肢がないように感じました。スポーツも多様性があっていいはず」と感じた。
「野球を職業として生きていく可能性が殆どゼロの中で、それなのに野球をもの凄く愛して、僕の高校時代よりも100倍一生懸命取り組むような努力をする子供や若者をたくさん見ました。そんな彼らが野球で奨学金を貰って大学に進学したり、メジャーからスカウトされたりするルートがほぼ皆無だったんです。なかなかスカウトや代理人の目が行き届きませんから。だから、僕が窓口になれれば、トライアウトを開催するとか、それを形式化できればモチベーションになるし、指導者だって目標ができる。良い循環が生まれるのではないかと思っているんです」
そんな夢を実現するために、金子はこの2022年の年明けすぐにアメリカへ飛んだ。まずはアメリカの学校でスポーツマネジメントやビジネスを学び、そして人脈形成をしていく構えだ。なにより「英語を覚えないと。僕、スペイン語は出来るけど英語は全然なので」と照れた。
「たぶん、僕と同じような考えを持つ人や、すでに動いている方もいると思うんです。僕1人では難しいことも仲間が増えれば可能になることもある。そのような方とも是非つながっていきたい」
これから3、4年は下積みが待っている。それでも金子は笑顔で言う。
「コスタリカの子どもたちは、自分の人生とは切り離せない存在だと思います。未知のチャレンジですが、目を瞑ってやり過ごすよりも、まずはやってみます。その方が後々納得も出来ると思うので」
数年先の未来に、コスタリカから来日するプロ野球選手が誕生するかもしれない。その時はおそらく彼が頼もしい後ろ盾となっているはずだ。
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