今年は「虹傘」と名前を変えて、4月26日のヤクルト戦で開催される予定だった
4月26日に行われる予定だった、マツダスタジアムでの広島対ヤクルト戦。
雨天中止という情報が入って、ひとまずホッとしました。
2015年から始まった、カープの赤傘応援。
双方のファンから賛否両論が飛び交う中、何年も続いている赤傘での応援企画。
今年は「虹傘」と名前を変えて、4月26日のヤクルト戦で開催される予定でした。
スワローズファンにとってのアイデンティティである「傘応援」。
傘を振った後は必ずきれいに畳んでボタンを止めてカバンに戻す。
普通の傘ならその辺に立てかけたり地べたに置いたりするのに、応援傘をそんな風に扱っているスワローズファンを僕は見た事がありません。
なぜ、スワローズファンは傘をこんなに大切に扱うのか。
名物応援団長だった岡田正泰さんの「思い」を応援団は大切にしている
そもそもこの応援は、ツバメ軍団の名物応援団長であった故・岡田正泰さんが80年代の中ごろ、Bクラスが常連で【空席の目立つ神宮球場の客席を少しでも埋まっているように見せるため】に「傘を持ってきてください!」とファンに呼びかけたのが始まり。
この起源を知らないスワローズファンも結構いると思います。
僕も大人になるまで知りませんでした。
昔、ツバメ軍団の方々に僕がやっていたネットラジオ番組にゲストで出ていただいた事があるのですが、岡田団長は応援を強制する事もなく、球場に来たファンに楽しんでもらう事を第一に考える人だったそうです。
今の神宮のライトスタンドのあのなんとも言えないアットホームな雰囲気は、岡田団長率いるツバメ軍団が当時まだ少なかったファンの皆さんと一緒に時間をかけて作ってきたものなんだなぁ、と感じます。
これは我々の最も大事なものなんだ
なぜ、スワローズファンは傘をこんなに大切に扱うのか。
それは、ツバメ軍団とスワローズファンが時間をかけて【これは我々の応援の最も大事なものなんだ】という想いを紡いできたからだと僕は思っています。
我々落語の世界でも、そういう想いを大事にする事が多々あります。
例えば古典落語の場合、【火焔太鼓】(かえんだいこ)は古今亭一門のネタ、【粗忽長屋】(そこつながや)は柳家一門のネタ。
上方だと、【帯久】(おびきゅう)は米朝一門、【深山隠れ】(みやまがくれ)は露の一門などなど。
これらのネタをやりたいと思えば、お稽古はその御一門につけていただくのが筋なんです。
しかしながら、落語家の中にはその筋自体を知らず勝手に覚えてしまう方がいたり、それを知りながらも勝手に覚える方もいる。
そしてもっとややこしいのは、東京と上方ではルールが違っていたりするので、上方では【火焔太鼓】や【粗忽長屋】をいろんな一門の人が普通に覚えたり、稽古をつけてもらったりしていて、東京の落語家の中にはこういう状況をよく思っていない方々が一定数いらっしゃいます。
なので、僕は基本的に大半のネタは自分で勝手に覚えていきますが、そういう【想いの詰まったネタ】をやる時は必ずお稽古をお願いするなどの筋を通すようにしていますし、大半の落語家がそのようにしています。
そうする事で、自分が正々堂々とそのネタと向き合えるからです。
スワローズファンにとっての傘応援は、落語界でいうところの【火焔太鼓】
僕も一時は「そもそも古典落語なんて著作権がないものなんやし、勝手に覚えてもええんちゃうのん」と思った時期もありました。
ですが、そういう特殊なネタを受け継いでいる御一門の師匠にお稽古に行き、そのネタと向き合うその一門の【想いの強さ】を知る事で、よりそのネタを大事にしようという気持ちになるし、
「こういう軽々にできないネタがあるから、落語界っていいんだろうな」
と思うようになりました。
スワローズファンにとっての傘応援は、まさに落語界でいうところの【火焔太鼓】のような、想いの詰まったものなんだと思います。
それをまるで【寿限無】(じゅげむ)のように軽く扱われているように感じるから、スワローズファンの大半はいい気がしないんじゃないでしょうか。
想いがないから、すぐにメルカリで売る。
想いがないから、相手球団をからかうという発想になる。
そういう企画で集客して自分達の経営が潤えばいいし、
「そもそもヤクルト戦はビジターのファンも少ないんやし、これぐらいさせてもらってもいいでしょう」
という想いなんでしょう。