コロナ禍により奪われた決断の理由を説明する機会
巨人人気がいまより遥かに高かった時代でさえ、スポーツ紙の“巨人番”は各紙につき3~4人だったと聞く。そして、その規模はいまもほとんど変わっていない。
阪神は違う。在阪のスポーツ紙は、報知を除く各紙が5名以上の番記者をチームに張り付けている。加えて、在阪のテレビ局も系列に関係なく虎の動向を追う。ラジオは常にABCとMBSの2局が試合を中継する。阪神の人気の方が巨人より上、などというつもりはまったくないが、球団を取り囲むメディアのボリューム差に関してならば、間違いなく阪神の方が上なのである。
つまり、コロナ禍以前の阪神の監督は、12球団でもっとも多くの記者に接していたと言っていい。メディア間の競争も激しいため、取材する側は競って自分たちなりの疑問をぶつけ、「51」の理由、「49」の理由を明らかにすることができた。
順風満帆だった昨年の阪神と矢野監督に対する風向きが一変したのは、ヤクルト・村上宗隆との間に起きたトラブルだったようにわたしは思う。若い村上を恫喝したという「見えたもの(聞こえたもの)」だけがクローズアップされ、矢野監督は完全なヒールに転落した。
もし汚い言葉を浴びせたのが本当ならば、非が矢野監督の側にあるのは間違いない。ただ、曲がりなりにも彼の人柄に触れたことのある人間の一人として言わせてもらうならば、あれは、教え子たちを侮辱された怒り、まったく心当たりのない濡れ衣を生徒が着せられたことに対する教師の激昂だったように思える。
もちろん、本当の教師であれば他校の生徒を恫喝するなど許されることではない。やってしまったのであれば、まず求められるのは謝罪であり、次にそこに至るまでの経緯の説明だった。
だが、コロナ禍はそうした機会までをも奪ってしまった。年配の監督が他球団の若手を威嚇したという「見えたもの」だけが固定化され、矢野監督の印象を決定づけてしまった。
ハタチそこそこの選手を恫喝して平然としている(かのごとく報じられる)五十路のおっちゃん。ドン引きする人がいるのも無理はない。
賛否両論……というか、否定的な声ばかりが聞こえる「今季限りでの辞任」にしても、起こりうるデメリットを矢野監督が考えなかったはずはない。考えて、考えて、考え抜いた末に下した51対49の結論は、ただ結論だけがクローズアップされた。これも、きちんと心情を説明する機会があれば、ずいぶんと違った受け止め方をされていたのではないかと思う。
ただ、起きてしまったことは変えられないし、矢野監督もしばらくは、コロナ禍の中で指揮をとっていかなければならない。
そこで、できることを考えてみた。いま、NPBのコロナ対策は、リーグとしての大筋はあるものの、細かい部分は各球団の裁量に任されている部分が多いという。
もし阪神球団が矢野監督を取り巻く状況を打破したいと考えるのであれば、やるべきことはコロナ対策を徹底した上での、メディアとの接触機会を増やすこと、ではないか。対面取材に規制をかけ、代表取材にすべてのメディアが乗っからなければならない現状では、「苦渋の決断」の「苦渋」の部分が伝わらない。「何を考えているのかわからない」という人たちを拡大再生産し続けてしまう。
球界でもっとも多くのメディアに囲まれる阪神だからこそ、手を打つことによって得られる変化もまた大きいのでは、とわたしは思う。
あとは……サンズの現況をリサーチして欲しいかな。毎年息切れはしたものの、シーズン序盤は確実に打ってくれたサンズ。もしヒマしていて、身体がなまっていないようなら──。
投手陣は頑張っている。目茶苦茶頑張っている。打てば、勝てる。打てないから、勝てない。
まだサンズが錆び付いていないなら、放っておくのはちょっと惜しい。
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