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立ち直るのではなく、敗北に「慣れ」てしまう

 では、どうするのか。そこで敗北から学べというのではなく、敗北は忘れろ、という人もいる。確かに野球場やその周辺には、この教えを信じている人たちもたくさんいる。京セラドームから近い、大正駅前の居酒屋に駆け込んだ彼らは浴びるように酒を飲み、つい30分前に見た惨劇を忘れようと懸命に努めている。

 とはいえ問題は、彼らがそれに成功しているのかである。その答えは彼らに続いて、居酒屋の暖簾をくぐればすぐにわかる。そこにあふれているのは、恰も生き別れた最愛の人の名前ででもあるかのように、打たれたビドルや、二軍で調整中の吉田正尚の名前をいつまでも叫び続ける人々の姿である。

 そう、人間は忘れたい事こそ、忘れられないものなのだ。なので、筆者はこの方法は皆さんにお勧めしない。翌朝の出勤が辛くなるだけである。経験者が言うのだから間違いはない。そもそも終電がなくなったら神戸に帰れない。

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 だとすれば、お勧めの答えは一つしかない。凡人にとって敗北とはそこから何かを学べるものでもなければ、忘れられるものでもない。とりわけこっぴどくやられた日の夜はそうである。

 だったらできるのは、せいぜいこの状況に慣れ、ただ見守る事だ。心の中の声が呼びかける。だめよ目をそらしちゃダメ。平野さんの目はまだ死んじゃいないわ。だからどんなに辛くてもじっと見守るの。そう、芦川先生がいないなら、我々自身が芦川先生になればいいのである。ところで、この昭和な比喩、この文章を読んでいる人の何パーセントくらいが理解してくれているのでしょうか。まあいいか。

 いずにせよ、オリックスファンはそうやってずっと去年まで過ごしてきた。敗北から立ち直る必要なんてない。ただじっと見守ればいいのである。

オリックスファンからDeNAファンに伝えたいこと

 それは言い換えればこういう事だ。随分長い間、辛い日々を過ごしてきたオリックスファンの多くは、そこから何も学習しなかったし、乗り越えなかった。勿論、辛かった日々を忘れた事なんかある筈がない。

 でもだからこそ、我々はこの25年も優勝しなかったチームを律義に応援し続ける事が出来た。そもそも負けたからって何が悪い。俺たちは俺たちだし、俺たちは好きでこのチームを応援してるんだから。

 そしてオリックスファンは、このチームをずっと見守って来た事に誇りを持っている。がらがらのスタンド、開いた点差、飛び交う怒号。大事なのは、それを無理に克服する事でも、忘れる事でもなく、リング、いやグラウンドに立つ選手達と共に勝利を喜び、敗北を悲しむ事である。

 無理をしてもしんどいだけだし、飲みすぎて二日酔いになってもいいことは何もない。況してや敗北から立ち直る必要なんてある筈がない。ファンとしての進歩? そんなものどうして必要なんだ。だって、俺たち、実際に優勝チームのファンになったじゃないか。そして、それが俺たちがずっとチームを見守って来た結果なんだ。

 だから、オリックスファンには、DeNAファンの皆さんに伝えたい事がある。

 それは、そうしてチームを見守り、共に一喜一憂した後に、突如として、勝利の日々が続いたら、それはもう考えられないくらい楽しい、と言うことだ。だって、僕たちはそちらの方には「慣れて」いないんだから。

 そう、お祭りの日が楽しいのは、その前に延々と辛い日常が続いてきたからだ。だからこそ、やっぱり長くて辛い日々を見守って来たDeNAファンの人達にも、そんなとてつもなく楽しい経験をして欲しいと思う。長くて辛い日々の後に迎える勝利は格別なものだ。そしてそれはきっと、勝つのが当たり前になってしまっている「可哀想な」人達には、体験できない素晴らしい体験になる筈だ。

 だから、今は敗北をじっと見守ればいい。そしたらきっと、僕たちが見守って来たチームが「お祭り」へと連れて行ってくれる。そして、その時は僕が芦川先生じゃなくて、西澤さんを京セラドームに迎えに行ってあげますよ。それまで待っててくださいね。ホッホッホッ

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