「あのホームランをもう一度見たいんじゃ」
父がこれほど熱狂する姿を見たことはない。それまでの印象は寡黙で無骨、口下手。最高に美化するならば、往年の名優・高倉健といったところだろうか。思い返せば、野球観戦に誘われたのはこの日が初めて。行先が甲子園だった理由はいまだに教えてもらえない。だが、目の輝きを見た瞬間全てを察することができた気がした。
帰りの新幹線の中で、野球の話をする父はいつになく饒舌だった。地元・名古屋の中日ドラゴンズのファンであること、生で見たONアベックアーチ、中日・水原茂監督の思い出……。家でその様な素振りを見せなかったのは、姉にチャンネル権を譲っていたからとのこと。寡黙だが娘には甘い面は未だに変わらない。
帰宅後、「熱闘甲子園」の時間がやってきた。これまでは一人で見るのが常だったが、この日は隣にもう一人。
「あのホームランをもう一度見たいんじゃ」
ソファーにどっかりと座り、食い入るように画面を見つめていたことを今でも覚えている。しかも、テレビ台の下にあるVHSレコーダーには、赤く点灯する「REC」の3文字。アナログ派のおっさんの涙ぐましい努力がうかがえる。そして缶ビールを握りしめ、酔っぱらいながらもこう続けた。
「ドラゴンズのユニフォームを着た森岡が見たいな!」
数か月後、その願いは早々に叶った。当時の中日は立浪和義や福留孝介がバリバリの主力だ。さらに2004年から落合博満が監督に就任。それでも二人の話題は、「立浪二世」と称される小柄な内野手が中心だった。「アラ・イバ」コンビからポジションを奪取する方法、球界を生き残る術はあるのかを真剣に語り合ったのを今でもはっきりと覚えている。森岡が中日からヤクルトに移籍し、私も進学のため上京。それでも主役が変わることはなく、引退する2016年までこのやりとりは続いた。
「森岡、もう一度中日のユニフォーム着ないかなぁ……」
時は流れ、2022年初夏。父子二人きりで久々にプロ野球観戦に出かけた。対戦カードは中日対ヤクルト。あの夏から20年、親子は60代と30代に突入している。当時の主役は、燕軍団の内野守備走塁コーチとしてコーチャーズボックスが居場所となっている。試合中、隣から独り言が聞こえた。
「森岡、もう一度中日のユニフォーム着ないかなぁ……」
「熱闘甲子園」を見ながら発した一言は、酔った勢いで口を滑らせたのではなかった。現時点では実現する見通しはない。それでも、再び名古屋に戻ってくる日が来るならば……。父にはその姿をぜひ焼き付けてほしい。その際は、何故あの日私を野球観戦に誘ったかを何が何でも聞き出したい。間違いなく父も森岡目当てだったはずだ。
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