前半戦終了時点で貯金が「2」。よしよし、行けるぞ。などと気持ちも新たに、マリーンズ戦士たちがいつになく躍動したオールスターを満喫したのは、つい10日ほど前のことでした。

 にもかかわらず、いざ後半戦が始まってみると、いきなり食らった3タテに続いて、「そりゃあ、ウチだけが来ないはずないよね」と思うほかない『特例2022』の嵐も案の定吹きあれ、あっという間に借金生活に逆戻り。5日のライオンズ戦では、井口資仁監督から「勝ちパターンの投手がいなかった」なんていう悲しい敗戦の弁まで飛びだし、危惧されていた“投壊”も、もはや待ったなしの状況です。

 ですが、そんな苦境にあるチームには、得てして“救世主”もまた現れるもの。2020年の唐川侑己や澤村拓一(現レッドソックス)、昨年の国吉佑樹や佐々木千隼らがそうだったように、アテにしていた主力の不在というピンチは、他の選手にとってはこれ以上ないチャンスでもあるのです。

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「やっぱり内ってすげぇな」と言わせたい

 たとえば、2010年の内竜也などは、まさにその典型。あのときと今年は、実は干支が同じという事実にちょっと愕然としてしまうのはさておき、かの“史上最大の下克上”が成就したのは、彼の活躍があればこそ。負ければ終わりのラスト3連戦から、CS、日本シリーズと続いたあの“快投”乱麻で、彼自身のプロでのキャリアも、大きなターニングポイントを迎えることになりました。

内竜也(本人提供)

 以下は、その内さんと先日取材でお会いしたときにうかがった話。本題もそこそこに「最近のロッテはどんな感じで見てます?」なんていう、純度100%の個人的興味をぶつけるぼくに、彼は思いのほか熱い胸のうちを明かしてくれたのです。

「結局、あの年のオフから5年連続で手術をすることにもなったんですけど、逆に言えば、あそこで活躍できたからこそ、その後のリハビリにだって耐えられた。手に入れた自分の持ち場を取り戻すためには、それなりのリスクを取るしかないと思ったし、復帰するからには『やっぱり内ってすげぇな』と言わせたい。とにかく自分は、その一心でやってましたね」

 当時をそう振り返る内さんは、自己最多の58試合に登板した18年以降、一軍のマウンドから遠ざかり、20年シーズン限りで現役を引退。最後の2年間は、鼠径部の炎症が悪化し、投げるどころか、まともに歩くことさえままならない日々を過ごしていたと言います。

「あまりに痛すぎて、どうやっても下腹部に力が入らない。医者に診てもらっても原因がよくわからないから、“極力歩かないようにする”ぐらいしか対処法もなくて。一時は寝返りを打つだけでも激痛が走るぐらい状態が悪かったんです。でも、それで『できません』となれば、そこでもうお仕舞い。怪我したときのしんどさは他の誰よりわかるから、リハビリ組の連中がいるところでは、努めて明るく振る舞うようにもしてました。どんより沈んだりするのは家に帰ってからでいいかな、って」

 初めて手術を経験した4年目、07年のシーズンオフ。不安を抱えた内さんの支えになってくれたのが、その頃、浦和の二軍で同様にリハビリ中だったジョニー(黒木知宏)さんや、大ベテランの高木晃次さんでした。コーチとは違う、同じ現役選手だからこその絶妙な距離感。そこでの先輩たちとの語らいが、のちに大きな財産になったと、内さんは言います。

「リハビリ中はとくに孤独を感じやすい。だから、なるべく一人にはしないようにと、似たような状況の後輩たちにはこっちからちょっかいをかけに行くようにしてました。ぶっちゃけ、当人たちからはウザがられていたかもしれないですけど、それも先輩としての務めかなって。これだけ怪我を繰り返していると、嫌でもまわりがよく見えるようになってくるんでね(笑)」