6日に開幕した夏の高校野球選手権大会。9日には横浜高校が登場、見事に初戦を突破した。

 東海大相模を1-0でサヨナラで撃破した7月27日の神奈川大会決勝戦。母校の後輩たちが横浜スタジアムのマウンドで歓喜の輪を作るシーンをスマホの画面越しに見て、胸を打たれていたのが藤平尚真だった。

藤平尚真

 今季2度目の先発を前にした囲み取材。「僕も頑張らないといけないなという気持ちになりました」と後輩に負けない活躍を見せるという決意で臨んだ7月31日の日本ハム戦(楽天生命パーク)は5回3失点。惜しくも今季初勝利はならなかったが、6連戦が続く8月中の再昇格に希望の持てる内容だった。

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 持っているポテンシャルを発揮出来ずにくすぶり続けている未完の大器だが、この試合で高校時代に身につけたであろう隙のないプレーがあった。

 1-0の2回1死から古川裕大に中前打を許し、打席には佐藤龍世が入った。カウントは2-2。ここから2球連続でけん制球を入れた。3球目はないだろう――。そう、たかをくくっていた古川の意表をついた。素早くプレートを外し、もう1球けん制球をズドン。見事に刺してみせた。

 元野球部長として、若き日の松坂大輔さんや涌井秀章を育成した名伯楽・小倉清一郎コーチに、かつての先輩たちが取り組んできた伝統のアメリカンノックでの体力強化や、フィールディング、けん制、クイックなど「プロに入った時に困らないように」と技術をとことんたたき込まれた。古川を仕留めた1球も小倉コーチの厳しい教えのたまものだった。

横浜高校への入学理由となった渡辺監督の言葉

 前置きが少し長くなってしまったが、今回は藤平の高校時代の話を書いてみたい。

 横浜高校は言わずと知れたプロ輩出の名門校。OBの現役プロ野球選手は18人。23人で最多の大阪桐蔭に次ぐ2位だが、投手の数は高校別で最多だ。1998年に春夏連覇を果たした松坂世代への憧れから入学する者がほとんどだが、この年に生まれた藤平の入学理由は当然違った。

「君はプロ野球選手になりたいかい?」

 当時の渡辺元智監督が進路に迷っていた時に自宅まで来てくれ、かけられた言葉に衝撃が走った。

「甲子園に行くことはもちろん、プロで活躍できる選手になりたいって気持ちもあった。渡辺監督に『横浜も視野に入れてみなさい』と言われて、それで決めましたね」。この頃は全国制覇の経験がある埼玉か東京の強豪校への進学を考えていたが、後の恩師の言葉に導かれるように方針転換し、横浜の門をたたいた。

左から当時の主将・公家響、藤平、4番・村田雄大(家族提供)

 U-15日本代表にも選ばれた好素材。高いポテンシャルを期待され、入学当初から2学年上の伊藤将司(阪神)、高浜祐仁(日本ハム)、渡辺佳明(楽天)ら、後にプロに進む先輩たちに混じってAチームで汗を流した。

 練習はランニングから始まる。授業が終わって投手はグラウンドまで走って向かう。グラウンドに着いてからは「ダービー」と呼ばれるタイム走が行われ、グラウンドを3周、2周、1周と決まった周回を規定のタイム内で走り切らないといけない。

「ダービー」が終わると、ホームベースからポールまでの90メートルダッシュが待つ。ただ走るだけではなく、飽きがこないように縄跳びをしながら走るメニューも組まれた。「意味が分からないくらいの量を走りました」。ランニングだけで1時間から1時間半をかける。既に体力の限界が来ているところで投内連係に移っていく。

 藤平にとってはこの投内連係が“地獄の時間”だった。レベルが高い3年生に混じってやる練習は緊張感が違い、疲労度も増す。

「先輩たちは慣れているから失敗しないんですよ。でも、僕は中学の時にこういった練習をしていなかったからわからない。失敗すると、小倉コーチからは細かい指示が飛んでくるんです。サード側に転がったゴロを処理していると、そこで止められて、『そういうプレーしていると、ランナーがどういう動きをするのか、説明してみろ』なんて言われて……。説明できないと、理解するまで同じ動きをするんです」

 フィールディング、ベースカバーもあわせて約2時間。みっちり野球脳と体を手艇的に鍛えられていった。