一人の在京バファローズファンからライターの道に入って、今季で9年目を迎えた。私がバファローズを本格的に応援し始めたのは2010年。岡田政権1年目のことである。最初に買ったグッズは坂口智隆タオル。好きになった選手は近藤一樹投手だった。そんな私がある編集者と出会い「書いてみませんか?」と誘われて、バファローズを広めたいという一心で、ここまでフリーライターとして、いろいろな方々にお世話になりながら突き進んで来た。その8年間の中から今回は、2021年と2022年の優勝をメディアの視点から振り返ってみたい。
胴上げにも立ち会えず、記事も書けなかった2021年の優勝
私の取材人生の中でシーズン中の監督交代劇は2度味わっている。1回目は2015年の森脇監督、2回目は2020年の西村監督だ。森脇監督の時はまだ取材をし始めたばかりで、都内のホテルで行われた会見に赴き記事を書いただけだったが、西村監督の時は監督囲みも終わり、帰り支度を始めたところに記者仲間から一報が入ったため、掲載メディアへの連絡から、中嶋監督代行の周辺取材などバタバタで、京セラドーム大阪で記事を書き終えた時には日を跨いでいたのを思い出す。
そして監督代行から監督に就任した中嶋監督指揮のもと優勝争いを演じた2021年。私はプロレスの仕事があり、東京・後楽園ホールでリーグ優勝の一報を知った。つまりあれだけ待ち焦がれた胴上げには立ち会えなかっただけじゃなく、その日の記事も書けないという悔しさを味わったのだ。ただ各社から発売される優勝特別号のお仕事はいただいたのだが、翌日締め切りというタイトなスケジュールだったため徹夜作業。「こりゃ大阪にいたら出来なかったな」と感じるほどハードな作業だった。一方で、優勝前提で先出しした記事が没にならなかった安堵感は大きかった。CSは全試合取材し優勝に立ち会えたが、日本シリーズは“申請漏れ”で初戦のみチケットを購入し、残りは自宅で観戦となった。
続く2022年は最終戦まで優勝がもつれた。2021年のような悔しい思いをしたくない私は、9月末から10月の予定をバファローズ関連以外、空けておいた。そこであの10.2である。昨年はコロナシフトにより、フリーライターが楽天生命パーク宮城(現・楽天モバイルパーク宮城)で取材することは認められていなかったため、球団からは「優勝した場合はホテルにお越しください」ということだった。確率としてはバファローズが優勝する可能性は低かったが、私は一か八かで仙台に行くことを決めて、優勝した場合、会見が行われるホテルから近いホテルを予約。仙台駅でこばやしのはらこ飯を勝負メシとして買ってから、ホテルにチェックイン。NHKのBSがメインとサブのチャンネルを駆使して、ZOZOマリンの千葉ロッテと福岡ソフトバンク、仙台の東北楽天とオリックスの試合をやってくれたのは、本当に有り難かった。結果はご存知のとおり、オリックスが逆転勝ち、ソフトバンクが逆転負けというドラマチックな幕切れでオリックスが2連覇を果たす。