鞘師スカウトが黒原に惚れた理由
そして、智弁和歌山―関学大と進む計7年間の練習を見守り続けることになるのが、近畿圏を担当する広島の鞘師智也スカウトである。鞘師スカウトは、黒原の投球だけでなく、その努力も追いかけてきた。
「黒原に惚れたのは、投球とかよりも取り組みの方が先かな。(智弁和歌山の)中谷(仁)監督から“凄く練習をする”と聞いたのが最初だった。それから誰に聞いても“めちゃくちゃ練習する”と言うし、そう聞くと大学1年からの変身していく過程も納得できた」
黒原は、高3夏に初めて甲子園に出場した。2回戦の大阪桐蔭戦に先発し、6回途中1失点の好投を見せるも敗れた。その後、関学大に進み、1年春のリーグ戦から登板機会を与えられることになる。このデビューの舞台となった春季リーグで、夏の甲子園よりも明らかに直球が速くなっていたのだ。高校野球引退から大学入学までの期間を無駄にしていなかったことを容易に想像させる投球内容だった。鞘師スカウトは、この努力を気に入った。
大学3年は、コロナ禍の影響で春のリーグ戦が中止となった。全体練習すらできない期間も長く続いた。恵まれない環境の中で多くの学生が伸び悩んだ一方、黒原は3年秋から4年春にかけてメキメキと頭角を現した。鞘師スカウトは「コロナの間に相当練習していたのだと思う。スカウトを長くやらせてもらっているけど、ここまで計画性を持って練習できる選手は(なかなかいない)」とさらに惚れ込んでいく。そして、21年ドラフト会議での1位指名へとつながっていった。
幼少期からプロ2年目を迎えた現在まで、人一倍の努力を誰よりもそばで、そっと見守ってきたのが家族である。母・千晶さんも「ずっと真面目に練習していました。高3の夏の甲子園で負けてからも、毎日練習をしていて感心したほどです。とにかく練習が好きなんです」と努力家であることを認める。
今季は3度の先発を含む5試合に登板するも、プロ初勝利はお預けとなっている。振り返れば、ドラフト会議から数日後に広島の佐々岡監督らが関学大へ指名あいさつに訪れたとき、取材に応じた鞘師スカウトが「これから壁にぶち当たったとしても、負けずにやってもらえる気がしています」と答えていた。努力家の真価は、うまくいかなかったときに試される。ドラフト1位とはいえ、踏ん張って、はい上がるストーリーが黒原にはよく似合う。
河合洋介(スポーツニッポン)
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