NHK放送文化研究所が行った「国民生活時間調査」の調査で10~20代のほぼ半数が日々テレビを見る習慣がないことがわかった。インターネットやデジタル機器に囲まれて育った世代デジタル・ネイティヴが増えていくにしたがって、テレビは“オワコン(終わったコンテンツ)”になってしまうのだろうか。
ここでは、元テレビ東京プロデューサーで、現在は桜美林大学で教授を務める田淵俊彦氏の著書『混沌時代の新・テレビ論』(ポプラ社)の一部を抜粋。テレビ業界を生き抜いた田淵氏の考えるテレビの未来について紹介する。(全2回の2回目/前編を読む)
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「配信」を支えているのは地上波由来の番組
コロナ禍が収束し始めたいまだからこそ、テレビはその存在意義を示すべきである。また、テレビからすれば「脅威」であろう配信との関係を見直すときである。
まずは、配信の出現でテレビメディアは「オワコン」になるのかどうか真剣に考えなければならない。
私はその渦中にいたからこそ「ならない」と考えるし、そう実感もしている。
そしてその思いはテレビ業界から距離を置いたいま、ますます強まっている。
地上波と配信の関係において最大の懸念とされる「競合」についてのポイントは、「オリジナル配信」と「地上波の配信化」は違うということである。
私が大学の授業で学生に「配信の番組を見て、問題点を挙げてください」という課題を出すと、多くの学生が地上波で放送された番組が配信化されたものを挙げる。
しかし、これは「配信の番組」ではない。配信プラットフォームが独自(オリジナル)に制作した番組ではないからである。だが、学生たちは混同をする。
この現象は、いかに「地上波の配信化」が多いかをあらわしている。「やっぱり配信はおもしろいなぁ」と思って見ている番組のほとんどは、テレビ局が作って地上波で放送したあとに配信に転売した地上波由来のコンテンツなのだ。
その事実にこそ、テレビが生き残るためのヒントが隠されている。