『恐怖の民俗学』(島村恭則 著)

「子供の頃、“お祈り癖”があったんです。通っていたカトリック系の幼稚園ではマリア様へのお祈りがあり、そこから道端のお地蔵さんにも祈るようになって。拝まないと祟りがあるような気がしていました」

 そう語るのは、民俗学的視点から人間が感じる恐怖の正体を解き明かす『恐怖の民俗学』を上梓した、民俗学者の島村恭則さんだ。

「当時、『死が怖い』という感覚が強かったんですね。昔は今ほど、社会から死が隠されてはいませんでしたから、通りかかる霊柩車や、新聞の死亡広告を見ては恐れていました。高校生の時、たまたま書店で民俗学の本に出合いました。そこには、これまでの自分の恐怖体験についての説明がありました。少なくとも自分にはそう感じられた。それが民俗学の道に進むきっかけになりました」

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 人間にとって最も原始的な恐怖といえば、自然の脅威だろう。ネパールの土砂災害が記憶に新しいが、なすすべもない「カオス(混沌)」な出来事に遭遇した時、人間の脳は、それを「ノモス(秩序)」に変換して整理・理解しようとするのだという。

「“カミ”というのは、人間が生み出したノモスと言えます。特に日本は昔から自然災害が多かった。そのため、地震、台風、山、海、火、あらゆるものをそれぞれカミとして、その一つ一つと、歌や捧げもの、祭りなどで交渉することで、怒り(災害)を収めようとしてきました。ここで注意しておきたいのは、自然を理解可能な対象とすることは、ある意味『人間中心的な営み』ではありますが、だからといって、『人間優位の営み』ではない、ということです。その頃、そんな余裕はなかったのですから」

 科学技術が発展している現代では、自然の脅威をある程度制御したり、対処したりすることが可能だと考えられている。一方で、「恐怖」を取り扱ったホラーやミステリー小説、映画などのエンターテインメントは隆盛を極めている。なぜだろうか。

「『良性のマゾヒズム』という言葉があります。自分が安全圏にいるのが無意識にわかっている状態で、怖いけど最後は安心感がある、そんな報酬システムが約束されているコンテンツを楽しむのです。普段は死が隠されている世界において、一種の避難訓練のようでもあるし、パッケージ化された海外旅行のような側面もあると思います」

島村恭則さん

 本書では、自然の脅威が取り除かれ、人工的に管理されている現代のタワーマンションや地下通路のような場所にも恐怖は生まれ得る、と指摘している。

「たとえばその場所で、不幸な事件や孤独な死が一度でも起きてしまえば、その物理的な空間に、合理的ではない『禍々しい意味』が、住人の脳によって勝手に投射(プロジェクション)されてしまうんです。人間の脳はそのようにできているからで、私たちの脳の基本的な仕組みは、何万年も前の狩猟採集時代からほとんど変わっていません」

 こうした非科学的な認知を「民俗OS」と島村さんは呼ぶ。私たちの社会は一見、科学や技術に裏打ちされた「科学OS」で動いているように見えるかもしれないが、実際には「民俗OS」は、科学的な知識をも取り込みながらしたたかに生き残っているのだという。

「人間の脳の特性を変えることはできません。科学OSに偏りすぎれば人間そのものが置き去りになるし、民俗OSに偏りすぎればいわゆる陰謀論に乗っ取られてしまう。その間を『つなぐ言葉』を探っていくことが大切なのです」

しまむらたかのり/1967年東京都生まれ。関西学院大学社会学部長・教授。現代民俗学会会長。専門は現代民俗学、民俗学理論。著書に『これからの時代を生き抜くための民俗学入門』など多数。

恐怖の民俗学 (SB新書)

島村恭則

SBクリエイティブ

2026年8月7日 発売