(きたおとろ/1958年、福岡県生まれ。法政大学卒業後、フリーターを経てライターに。『裁判長! ここは懲役4年でどうすか』、『猟師になりたい!』、『夕陽に赤い町中華』、『愛と情熱の山田うどん まったく天下をねらわない地方豪族チェーンの研究』(共著)など著書多数。)

裁判傍聴、町中華、山田うどん……。ノンフィクションライターの北尾トロさんは雑誌連載や著書を通じて、世にさまざまなブームを巻き起こしてきた。68歳の今も、精力的に現場取材を続けている。
1958年1月23日生まれ。本名は伊藤秀樹。幼少期は父母と3歳下の妹と共に、九州各地を転々とした。
親父が「全農」の前身の全国販売農業協同組合連合会で働いていて、転勤族だったんです。僕が博多で生まれてしばらくして宮崎へ移り、数カ月で博多へ戻ってきて、今度は北九州市の小倉へ。そして、小学校に上がったところでまたまた博多、また小倉。ずっと社宅暮らしでした。
子供時代の一番思い出深い家は、北九州の母の実家ですね。祖父が門司港の栄町銀天街というアーケード商店街で、松葉屋という和菓子屋を営んでいたんです。1階は売り場で、2階では職人さんたちが饅頭やカステラなどを作っている。職人さんたちの仕事を見るのが大好きで、「どうやって作るの?」と話を聞いたのが僕の人生初取材かもしれません。
中学2年生の時、一家で兵庫県尼崎市へ。「僕が博多弁を喋ると同級生に突っ込まれるから、怖くて学校では一切喋らなくなった」。その結果、週末となれば映画館に入り浸る映画少年に。
73年4月、兵庫県立尼崎北高校に進学。翌春、東京都立日野高校に転入。
大学卒業後に就職した百科事典の出版社。出勤初日の昼休みに退職し、プータローに
引っ越し先は京王線の南平駅が最寄駅で、翌年、徒歩圏内に多摩動物公園もある高幡不動へ。家は坂の途中にあって、3階建てで半地下と1階と2階、屋上がありました。ある日、友達何人かと「屋上でビートルズの『Get Back』をやろうぜ」という話になったんです。延長コードを延長しまくってエレキギターに繋ぎジャカジャーンとやろうとしたら、近所のおじさんに「やめろ、バカ野郎!」と怒鳴られて一音も出さずに終了。半地下の部屋でドラムの練習をしていたら、窓の外から「リズムが走ってる。それじゃダメだよ!」と。バンドマンになる夢が遠ざかりました(笑)。
1浪後の77年4月、法政大学社会学部に進学。地下鉄丸ノ内線新中野駅徒歩3分の学生寮に入居する。きっかけは、父の死だ。
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source : 週刊文春 2026年5月21日号






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