『ミステリと言う勿(なか)れ』は変わった物語だ。事件は起こるけど主人公は刑事でも探偵でもない。謎は解いてもそこに使命感はなく、犯人が分かれども正義の名のもとに断罪することもない。淡々とただ興味の赴くままに考えるうちにたどり着いてしまったひとつしかない“事実”。題名の通り、ただのミステリとは思う勿れ。
天然パーマのふわふわヘアーが特徴的な大学生の久能整(ととのう)は、ある日独り暮らしのアパートで大好きなカレーを作っていたところ、突然訪問してきた警察官に任意同行を求められてしまう。近所で起こった殺人事件の容疑をかけられた整は次々と自分に不利な証拠があがってくる中、持ち前の洞察力と記憶力、そしてマイペースな話術で思いもよらない真相を解き明かしていく。この一件をきっかけに整は警察と不思議な縁ができ、行く先々で次々と殺人や誘拐、遺産を巡るお家騒動などの事件に巻き込まれるようになる。
「整がただただしゃべりまくる話です」と作者が語る通り、思いついたことをつい口に出してしまう整は気づきや違和感をそのままにしない。空気を読まない。それ僕、常々考えてるんですけど……と膨大な知識から生まれた一見関係のないような気づきを雑談のようにひょうひょうと話していくうちに、そのペースに飲まれた登場人物たちも心の中をさらけだし、いつしか事件の本質へと迫っていく。
伏線が丁寧に敷かれていて、読み返すと、ここにも、ここにもヒントが! と驚いてしまうほど。思わずクスッと笑ってしまうようなことをすっとぼけたリズムで語る整が、その数秒後にはハッとさせられることを指摘する、そのギャップが魅力的だ。例えば人を殺してはならない理由、生きる意味、女の〇〇という言葉の欺瞞。名言のオンパレードで台詞のひとつひとつが刺さるから、気づけば目からウロコがぽろぽろと落ちている。
キャラクターと同じく魅力的なのはそのタッチ。淡く繊細で美しく、まるで絵画のようなのに登場人物の感情を絶妙に表現している。特にぽっかりと穴が開いたかのような真っ暗な犯人たちの目は、見ていると思わず不安になってしまうほど。犯人たちはそれぞれに自分たちの信じる正義や理屈のままに行動していて理解はできないけれどやるせない。読後は謎の解けたすっきり感以上に物悲しさがつきまとう。整が言った通り、「真実は人の数だけある」しかし「事実は一つ」しかない。感情や願望を削いだ単体の事実を掬(すく)い上げることのなんと難しいことか。
終始穏やかな整だけれど、子どもの心が脅かされそうになったときは過剰に反応しているようだ。「子供って乾く前のセメントみたいなんですって。落としたものの形がそのまま跡になって残るんですよ」そういって幼子を心配する彼の姿からおぼろげながら見えてくる過去に胸が詰まる。そしてひとつひとつの事件の背景に浮かび上がる星座の謎が今後どのように整に迫っていくのか、目が離せない。
ここまできてもまだこの作品がミステリか否か、私もよく分からない。けれど読んだひと各々の感じたままの真実にそって決めたらいいのだろう。ミステリ的であり、ミステリ的とは言えず、でも整の脱線だらけのおしゃべりにただ癒され救われた瞬間があった。それだけはまぎれもない事実だ。
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source : 週刊文春 2022年1月20日号