「こんな世界に産んで、本当に幸せにしてあげられるのかな?」妊娠中の友人がポロリとこぼした言葉が、ずっと頭から離れない。好景気と言われながらも決して上がらない給料、2年経ってもマスクの手放せない日々、私たちはもうずいぶん前からいろんなものを諦めながら生きている。私たちは、いい。なんとかしのいで生きていく。でも子どもたちは? 老人ばかりがどんどん増えるこの国で背負わされるものの重さは、きっと想像を超えている。『フールナイト』に描かれている閉塞感溢れる世界はディストピアのはずなのに、そんなこの世という名の地獄とさして変わらないのがやるせない。

 分厚い雲が日の光を遮り、冬と夜が続くことで植物は枯れ、酸素が枯渇した遥か未来の地球。人類は死期の近い人間を「霊花」と呼ばれる植物に変える「転花」技術を開発し、わずかな酸素を作り出して生き延びていた。転花した人間には支援金として1000万円が支払われるものの、約2年後には物言わぬ完全な植物となってしまう。精神病を患う母を抱えつつ最低賃金以下で働く神谷トーシローは、貧困から抜け出すために転花を決意するが、手術後、霊花の声が聞こえるように。彼はその能力をきっかけに役所で人探しの職員として雇われ、様々な人間や霊花と関わっていくことになる。

 霊花となる過程の人体から花が咲き乱れ、目や口からも枝が飛び出した姿はグロテスクながら美しい。植物の強い生命力を感じる一方で、作中には常に死臭が漂っているようで退廃的だ。光と影の強いコントラストと映画のような独特のコマ割り、緻密な書き込みによる絵の力に圧倒される。

 転花途中の人間が起こしたとされる大量連続殺人事件について捜査している最中に幼馴染のヨミコが襲われてしまい、復讐を誓うトーシロー。能力を使えば使うほどどんどん転花が進むことに怯えながらも捜索を続け、ついに犯人を追い詰めるが……その正体と動機が想像以上に惨(むご)く、この物語の底なしの救いのなさに思わず顔を覆ってしまった。

 過酷な格差社会の中で人間として苦しみながら生きるか、それとも一時の裕福さと引き換えに植物として死んでいくか。人類存続のために人命を消費する残酷なシステムの下、人々は日々の暮らしに精一杯で誰一人幸せそうではない。そしてそんな狂った世界ではいつだって、一番弱い子どもたちが犠牲になる。

「1000万で心の豊かさを買うんだ!!!!!」トーシローはそう決意したけれど、植物になってまで求めた心の豊かさとは、いったい何だろう。2年という残された時間の短さに震えながらも何のために生きるのか、生まれてきた意味を求めてもがき苦しみ、人生を諦めきれないトーシローの姿が愛おしくて、悲しい。それは誰もが経験し得る、余命がある人の苦しみそのものだ。でも私は知っている。お金で余裕は買えるけど、豊かさは買えない。人生に意味なんてない。そう思わないと、やってられない。

 物語はサスペンスから政治的な群像劇の要素も加わり、巻を追うごとに勢いを増してますます目が離せない。どうしたって理不尽から逃れられないこの陰鬱な世界で彼はどのような道を歩むのだろう。絶望に塗(まみ)れた道と分かっていながらも、どこかにあるであろう微(かす)かな希望を信じずにいられないのは、きっとこの作品が現実を重ねてしまうほどあまりに生々しいからか。

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source : 週刊文春 2022年2月17日号