30歳。物語の中では夢か、現実かを突きつけられることの多い年齢だ。主人公の周りの友人たちは大抵夢を諦め、堅気の仕事を選んで去っていく。その度に私はずっと不満だった。大人になったら夢を追ってはいけないの? 堅実な仕事を選びながらその道を突き進んではダメなの? それは、会社勤めをしながら、ずっと書く仕事に憧れていた自分を肯定したいことからくる怒りだったように思う。だから、『海が走るエンドロール』で見つけた自分の夢に向かって65歳から動き始めるうみ子の姿がかっこよくて羨ましくて、ちょっと悔しかった。

 夫と死別した茅野うみ子は、数十年ぶりに訪れた映画館で映像専攻の美大生・海(カイ)と出会う。スクリーンよりも客席を気にするうみ子の姿に、カイは「映画作りたい(こっち)側なんじゃないの?」「そんな人間はさ 今からだって死ぬ気で 映画作ったほうがいいよ」と言葉をかける。私が映画を撮るならば……いつしか、そんな考えが止まらなくなったうみ子は、カイのいる美大の映像科に入学。創作の世界へと漕ぎ出すこととなる。

 海のモチーフの使い方が魅力的なこの作品。自分の気持ちに気づいた瞬間、うみ子の足元に打ち寄せた波は、創作に夢中になるとどんどん嵩を増し、入学を決心すると小さな船に帆を張り大海原へと進んでいく。その表現は映画的でもあり、実感を伴って見る者を創作の世界へと誘う。

 慣れない大学生活の中で、日々新しい気づきや学びに出会い、様々な感情に揺り動かされるうみ子。どんどん服装がおしゃれになり、飲み会にも参加! 活動的になっていく姿が眩しい。ザラザラとした、言葉にする前のあやふやな感情を繊細に描いていて、うみ子やカイのように人の心の動きをこんなに丁寧に追ったこと、なかったなあと気づかされた。

 一方うみ子がわきまえたり、諦めようとすると、その感情は引き潮となって現れる。ついつい予防線を張るようにうみ子が口にする自虐にはあまりに身に覚えがあって、「後悔しないんですか」と涙を流すカイの姿が胸に刺さる。こうやって知らず知らずのうちに私は、自分を守るために口から出た言葉で何度人を傷つけてきたのだろう。

 自分の秘められた願望に気づき猛然と動き出す疾走感満載の1巻に対し、2巻ではうみ子と同級生とのやり取りの中でひとりひとりのキャラクターが濃く掘り下げられている。カイもまた、彼女にとっては理解の追いつかない一面を持っていたことが分かる。自分が理解できないものを否定する防衛本能を乗り越えられるかどうか、それこそが若さと老いの分かれ目なのかもしれない。

 うみ子は、作る人と作らない人の境界線は「船を出すかどうか」だと言った。そして、誰にでも船は出せる、とも。本当は、私ももう一度大学で勉強したい。書きたいこと、やりたいこと、たくさんあった。私も、漕ぎ出せるだろうか。海に、出てもいいのだろうか。

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source : 週刊文春 2022年3月17日号