羽生と藤井、覇者と王者の王将位を賭けた戦い。その対局に立ち会った谷川浩司は羽生の姿に目を見張った。

扉写真 弦巻勝

2023年1月7日 第72期王将戦 開幕前日 静岡・掛川

 通り沿いに立てられた幟が冬の風に揺れていた。華美な装飾があるわけではなく、街角に目立った行列ができているわけでもない。それでも静岡県西部に位置する人口11万人の地方都市には確かに日常とは異なる高揚感があった。史上最年少で五冠王となった藤井聡太に、タイトル通算99期を誇る羽生善治が挑む。両雄による初めてのタイトル戦開幕を翌日に控え、街には棋界特有の静かな熱狂が満ちていた。

 昼前、掛川城の天守閣が見下ろす市立中央図書館では前日恒例の「こども王将戦」が開催されていた。イベント用のホールでは平成末期に生まれた少年少女たちが小気味よい駒音を響かせ、その様子を両対局者が視てまわる。会場内には「果断」と記された藤井の扇子を手にした少年が複数見られた。小さな棋士たちの多くが令和の時代に現れた新王者を見て将棋を始めたことを物語っていた。一方、その周りを囲む大人たちは羽生を見ながら人生を歩んできた世代である。その場にいる誰もが2人のことを知っていた。

 子供たちの対局を視た後、まず藤井が王将としてスピーチに立った。

「皆さんがとても楽しんで指しているのを見て嬉しく思いました。これからも楽しみながら将棋を指していただければと思います」

 少年少女たちと10歳ほどしか違わない藤井は独特の早口で言った。視線は真っ直ぐ前を見つめていた。

 続いて挑戦者がマイクを握った。羽生はまず子供たちに「こんにちは」と語りかけた。そして会場からの「こんにちは」という返答を待ってから、一人一人を見て言った。

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source : 週刊文春 2023年7月13日号