そもそもゲノム編集って?
そもそもゲノムとは「生物の全遺伝情報」のことで、その実体であるDNAは、A、T、G、Cの4種類の塩基という物質が二つずつ対になり、二重らせん状に連なってできている。ヒトならば約30億塩基対もあるこのゲノムの中に、多種多様なタンパク質を作り出すための指令である遺伝子が織り込まれている。
ゲノム編集は、遺伝子を構成する塩基の並びを、まるでワードソフトで文章を編集するかのように、自在に書き換える技術だ。遺伝子を切断するはさみ役の酵素と、その酵素を目的の部位まで連れて行くガイド役のRNAがセットになっていて、はさみでDNAの2本の鎖を切断して特定の遺伝子を壊したり、切断したところに新たな遺伝子を組み込んだりして編集する。その精度や効率の高さは、遺伝子組み換えなどの従来の遺伝子改変技術をはるかにしのぐ。
賀氏らが用いた技術「クリスパー・キャス9」
今回、賀氏らが用いた「クリスパー・キャス9」は2012年に登場した技術で、ゲノム編集の第3世代にあたる。安価で簡便なため爆発的に普及し、農畜産物の改良研究や生命科学の基礎研究など幅広い分野で利用されている。医療分野でも、がんや、染色体や遺伝子の変異が原因で起こる遺伝性疾患を対象に、患者の体から採取した細胞をゲノム編集してから体に戻す、あるいは患者の体内での編集によって治療する研究が、各国の大学や研究機関、ベンチャー企業によって進められている。すでに臨床研究が始まったものもある。
ただし、計画または実施中の臨床研究はいずれも、患者の体でその役割を全うする「体細胞」が対象だ。卵子や精子、受精卵といった「生殖細胞」を対象とするとなると話は違う。「生殖細胞」は次世代に遺伝情報を引き継ぐための細胞であり、その操作の影響は子や孫、さらに先の世代にまで及ぶからだ。とりわけヒト受精卵は、子宮に戻して着床すれば人の誕生につながる「生命の萌芽」でもあり、研究目的であっても安易に扱っていい細胞ではない。
ヒト受精卵のゲノム編集が問題化したのは2015年
ヒト受精卵のゲノムを編集する最初の基礎研究が2015年4月、中国の研究チームによって報告された際、世界中でセンセーショナルに報じられ、物議を醸したのも当然だった。同年12月、米英中の学術団体はワシントンDCでヒトのゲノム編集をテーマに科学者や生命倫理学者、社会学者らが話し合う初の国際サミットを開催。生殖細胞のゲノム編集について「基礎研究は推進すべきだが、改変した細胞は妊娠に用いてはならない」とする声明が採択された。その後も中国のほか、米国や英国でヒト受精卵のゲノム編集が行われているが、あくまで実験室レベルの試みだった。
賀氏が非難を浴びた理由の一つは、こうした国際的な合意を無視し、実際に人を誕生させる重大な研究を秘密裡に進めたからだ。サミットの議長を務めたデイヴィッド・バルティモア・米カリフォルニア工科大学教授も壇上で「透明性が欠如していたため、科学コミュニティによる自主規制が失敗した」と残念がった。